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−>>2004/05/07/(Fri) 創作の努め。(上)

 長かったゴールデンウィークも今日が最後。
 5連休を頂いていた私は久々にゆったりと自分の時間を満喫致しました。
 GWに入る前は、色々と創作活動に時間を費やそうと思いましたが、私の場合クリエータであってもアーティスト的クリエータではなく、プロダクター的クリエータだと思っているので、題材がないとはっきり言って全く何も作れません。
 CGソフトを立ち上げても何をモデリングすることもなく、フリープラグインを集めては遊ぶだけ……。
 全く意味のない時間を初日に費やし掛けてしまい、そんな状態に嫌気が差し、予定よりも早く実家に帰郷致しました。

 帰郷も予定では1日間だけの予定。
 しかし、結果的に予定よりも長く滋賀県に留まることになり、それが反対に色々とGW後半の良い結果を残すこととなりました。

 帰郷2日目。
 とある切っ掛けで、MooMinと再会を果たすことが適いました。
 MooMinとは、高校時代の後輩にして、ACC*Softwareの3DCG担当。プログラム、3DCG、情報科学の方面に長けており、ACC*Softwareのゲーム制作における背景CGなどで遺憾なく力を発揮してくれていました。

混迷の立体屋さん


 その彼とは、私の就職活動の時期…すなわち2年ほど前から連絡を全く取り合っていない状態にあり、お互いの近況を知る由もありませんでした。
 しかし、GW現在 MooMinは滋賀に帰っているという話を聞き、折角だからと連絡を取ってみました。
 無事に連絡がつき、その日の夕飯に誘うと快諾してくれ、彼の実家まで車で迎えに行きました。
 彼と出再会してからは、お互いの今の状況を報告し合います。
 そんな中で、話は自然、現在プロジェクト凍結中のPCゲーム「独立旗艦タマカヅラ」の話題へと傾きます。

 “独立旗艦タマカヅラ”は、ACC*Softwareが企画・制作のオリジナルのビジュアルノベルゲーム。
 ビジュアルノベルゲームとは、簡単に言えば「全シーンに挿絵がある小説形式の選択分岐ゲーム」でプレーヤは文章を読み、現れる選択肢を選択し、その結果によってストーリーが分岐して、複数の異なったエンディングへと話が進んでいく…というタイプのゲームジャンルです。


Windows用ビジュアルノベルゲーム「Vanishing Points 〜さよなら、ジュピター…〜」
http://www.TAMAKAZURA.com / (c)1999-2004 ACC*Software


 ACC*Softwareはこの“独立旗艦タマカヅラ”というゲームの制作を目的に、1999年に私がメンバーを集めて設立したのですが、残念ながら今日まで“独立旗艦タマカヅラ”というゲームは発売されていません。
 厳密に言えば、「The Single Flagship TAMAKAZURA 〜the Prologue 〜」というタマカヅラの序章作品は1999年の冬にリリースしたのですが、肝心の「本編」は出来上がっていません。
 また、2000年秋にも「Vanishing Points 〜さよなら、ジュピター…〜」なる作品をリリースしましたが、こちらはタマカヅラの外伝作品。
 結局、タマカヅラ本編は作られることなく当時殆どのメンバーが大学生であった我々は大学院への進学や就職活動によりバラバラとなり、2002年の秋にプロジェクト凍結宣言をして、それ以来……という風になっています。

 どうして、そうなってしまったのか…。
 それは偏に、私の統括能力およびプロジェクト進行能力が低かったことに起因しているのですが、とにかくもタマカヅラというプロジェクトは我々のキャパシティーを越えた企画であったことは誰もが認識しています。
 この状態を端的に説明するためにいつも使う比喩は、
 「学生の映画サークルがNHKの大河ドラマを作るようなもんだ…」というもの。
 活動当時我々が悟ったことは、「Vanishing Pointsぐらいの作品規模が適当だ」という事でした。
 我々……“ ACC*Software 「木星、独立。(仮)」製作委員会”の常任メンバーは6名。
 脚本担当・作画担当・3DCG担当・音楽担当・プログラム担当……そして総指揮たる私の6人で、そのほかに開発の進捗に応じて臨時で制作スタッフを増やしたりしました。

 学生の頃はまだそれぞれに時間もあり、またスタッフの多くは、お互いが物理的に近くに住んでいた…という条件などもあって、夏休みなどの長期休暇などを利用して集合し、短期間決戦で制作活動を行ったりもしたのですが、社会人になった今、そういった時間も取れなければ、物理的距離で皆バラバラであり、再集結の機会を逸している状態でした。


 そして何よりも、言い出しっぺの私が全く動けない状態でしたので、プロジェクトが動く訳もなく、皆の頭から忘れ去られた存在になっていったように思えました……。
 プロジェクト内に於いて、私と作画監督は、“構成担当”というゲーム作品の根幹を担う役目も負うていましたので、この2人の中ではタマカヅラという企画は忘れられることもなく、会うたびに小ネタを出しては作品作りに活かせないか…とこの2年ほど繰り返していたのですが、如何せん他のメンバーの賛同が無ければ動けるはずもなく、ネタが降り積もるばかりの状態になっていました。

 しかし、MooMinと再会した事が私の中で切っ掛けを得ます。
 夕食を摂って、彼を再び自宅へ送り返す車中で、彼がポロリと言ったこと。
 それは、「また、さよジュピ(Vanishing Pointの愛称)クラスの作品を作りたいですね」という一言。
 そう、彼の中でもまだ「独立旗艦タマカヅラ」という作品は生きており、ACC*Software 「木星、独立。(仮)」製作委員会のメンバーに属していると言うことを、決して厭わしいものとはしていなかったのです。
 
 翌日、この彼の台詞を切っ掛けに作画監督と夕食の席で、私は「“さよジュピ”クラスの作品企画を考えないか?」と提案し、早速夕食のテーブルは簡単な企画会議のデスクへと変容します。
 タマカヅラ系統作品の大鉄則は「タマカヅラ史観に乗っ取った作品選定」
 これについて少し説明致します。
 独立旗艦タマカヅラという作品は、私が企画・総指揮を手がける作品なのですが、1999年の第一回ACC総会において私が提出した「企画書」は寧ろ「設定集」と言えるものであり、タマカヅラの『世界』を政治・経済・思想・科学などの方面から説明したものでした。
 作品の“規格”部分についてはA4紙5ページ分。
 それに対して設定文章は実に30ページ余りを費やしています。
 それを見た当時の音楽担当者は「設定魔だ…」と感想を抱いたそうです(後日談)
 さらに、設定文章の6ページ分は歴史年表になっており、2010年からタマカヅラの舞台となる2370年までの360年間の歴史的出来事を1〜5年単位で箇条書きしてあり、タマカヅラの時代へと至る人類の歩みを記してあります。
 これがいわゆる「タマカヅラ史観」
 作中で人類の歴史を振り返るときに必ず適合させねばならない作品の根幹です。

 タマカヅラという作品は精々2370年を中心とした前後2〜3年が舞台。
 しかし、この歴史年表一つを見ても分かるように、そこに全く関係のない設定が山のように用意されています。
 恐らく作品中では一度も使われることがないであろう、歴史的出来事の呼称や人物、科学理論や企業名、惑星名………。
 とにかく、タマカヅラという舞台の周辺を満たす設定が本編内の設定よりも遥かに多いのです。
 そして、それこそが私が一番始めに提示した「独立旗艦タマカヅラ」の企画書だったのです。
 その意図は、はっきりしていました。
 私がスタッフに提供するのは、作品の外枠。その外枠を逸脱しない限り、その中ではどんなことをやっても構わない………これこそが、この企画書という名の設定集だったのです。
 つまり、その仮想の歴史史実、空想物理学設定、社会政体・経済構造に反しない範囲で自由に創作してもらいたい。
 これは、成功を収めた手法でありました。
 世界設定は外枠であるとも同時に作品の根幹ともなり、作品構成で迷えばこの世界設定に立ち返れば答えが見つかる、流れが読みとれる……そういう役割を果たしました。
 音楽を作ってもらうに於いても、その人類の抱えている歴史が作曲担当者に大きな影響を与え、イマジネーションを逞しくしたという作用もありました。

 さて、話は作画監督との夕食の席に戻りましょう。
 とにかく、臨時の企画会議に於いても「タマカヅラ史観」に則った企画を模索します。
 別の言い方をすれば、タマカヅラの歴史年表上にある史実で、作品化するのに「美味しい」出来事を探すのです。
 2090年代のアーティフィカルロード、2170年頃のアンセルム=ヤンの学生時代、23世紀後半のハビリスの乱とハングレアスの議定書、2296年からのクロートの吟嘯、2356年の天戮のクーデター………とゲーム化するにネタは尽きません。
 結局、この日はこれらの史実が候補になるのではないか、という意見を出し合っただけで終了。
 後は夕飯を静かに済ませました。

 しかし、私の中のプロジェクトを凍結せしむる氷雪は徐々に…しかし確実に溶け始めているのでありました。

(つづく・・・)


by Signature Line

>宏哉:ACC*visualization

今回は連休ネタ……というよりゲーム制作ネタ。
私のもう一つの趣味である、コンピュータゲームの制作。
その凍結状態が次こそは現実味を帯びて解凍傾向に……。
映像制作とは直接関係ないのですが、大勢の作品作りは、ゲームも映像制作も同じ楽しみがあります。




−>>2004/05/08/(Sat) 創作の努め。 (下)

 翌日、大阪に帰った私は、今度は作曲担当者に連絡を試みます。
 ACCの作曲担当、通称;おとん とも、長い間音信不通。
 携帯のメールアドレスが変わっていないことを願って、メールを送ってみました。
 すると、数分後おとんから返信があり、その後のやりとりで電話による会話へと通信手段を変更。
 お互いの近況を報告し、今どんな仕事をしているのか…などお互いに興味深い話題の会話となりました。
 おとんには先日のMooMinとの件や、作画監督(通称は、おねぇ)との談義を話し、プロジェクトを再開するならば、今それに加わる時間的な余裕などがあるか、また皆の社会的立場の違いから、作品の規模に対して過剰な長期戦になるが大丈夫か…などを確認しますと、快くプロジェクト再開の支持を表明してくれました。
 そんな心配をしていた私に、彼が電話越しに言った言葉は、私も確かに憶えていて、大切にしていた言葉でした。
 それは「5年掛けても、10年掛けても、みんなでタマカヅラを完成させようさ」というプロジェクト凍結前に言った彼の台詞。
 あの台詞は、今も偽り無く、変質することもなく今日まで彼が温め続けてくれた彼の本心からの思いであることが改めて分かり、嬉しくて仕方ありませんでした。
 また、同じくプロジェクト凍結前のMooMinの言葉も同時に思い出します。
 「最後まで、ついていきますよ」
 これは、最後のACC総会の席で、プロジェクトの凍結を宣言し、しかしまたいつか再開したい……と私の身勝手を皆に許してもらったときの彼の言葉。
 
 そういった彼らの言葉とそして今日に至っての彼らの対応は、“タマカヅラ”という作品が、皆の中で意味を持ち、独自に生きている作品であるという証左であろうかと思います。

 さて、おとんと話を進めると、現在タマカヅラ用ではないが3曲新曲が出来ており、今も4曲目を作っている…とのこと。
 タマカヅラ凍結後は、あまり多くの他人に曲を聴いてもらって感想を言って貰う機会が無くなり、残念に思っていたらしく、MP3にして送るので、是非に聞いて欲しいと言われ、早速電送してもらいました。
 最近彼は、生の楽器演奏会などに出かけて実際の楽器の扱いや音を見聞きしたり、色々と楽器の勉強をしているとのこと。
 例えば、MIDIだと本当の楽器では出せないコンパス(音域)まで音が出たりするのですが(例えば極端に低い音のヴァイオリン。開放弦で共通になるはずの下限のG(ソ)よりも低い音。)、そういった仮想音階を廃して、実際の楽器で演奏可能な曲作りを最近は目指しているそうです。
 3曲を聴いてみると、あぁ、おとんの曲だ…と懐かしく思うと同時に、今の課題も見え、それについては色々と感想を言わせてもらいました。
 本人も自覚していて現在切磋琢磨中の課題であるらしく、今後も彼の成長が楽しみでなりません。
 個人的な嗜好を言えば、彼の作った曲の中でも、ストリングスやティンパニーの効いた曲は大好きでして、荘厳で雄大で、そして優美な彼の楽器遣いには籠絡されてしまいます…。
 特に、提出される戦闘用音楽には、一体どんなCGアニメーションを付けてやろうかと、曲を繰り返し聞きながら、頭の中で数パターンの絵コンテを切ってしまいます。
 それぐらいに、創作意欲を触発してくれる曲を多く作ってくれます。

 取り敢えず今回は、何か要り用の曲は無いか?と尋ねられたのでプロジェクト凍結時に未完成だったタマカヅラ用の曲の完成と、作中曲のある曲のピアノソロ化(私がピアノで弾いてみたいので……)私用ながらACC*visualization用のクレジットロゴ曲、をおねがいしてしまいました。
 勿論、直ぐには無理と言うことで、ゆっくりと待たせて頂きますが、完成が楽しみです。
 その夜は、作曲担当者のプロジェクト再始動時の参加意思を確認でき、意気揚々として久方ぶりの会話を終えました。

 翌日。
 この日は、かねてより出会う約束をしていた、脚本担当者;おにぃ と大阪で落ち合いました。
 彼とは、ずっと毎晩のようにチャットで会話をしていますから、疎遠という感じがなく、色々とお互いの頼み事をこなしたりしていますので、むしろ最後に会ったのがいつだったか…ということが分からないぐらい親密なのですが、しかし電話にしろ何にしろお互いの声を聞いて、また直接顔を見るのは、MooMinやおとん同様に2年ぶりです。
 彼とは、日頃のチャットでは殆どプロジェクトの会話をすることが無く、ずっとオタク話ばかりを繰り返していたのですが、今日は直接出会って、今後のプロジェクトの方針を確認しようと思っていました。
 まずは、今の他のメンバーの状況を報告し、いずれもプロジェクト再始動時には参加可能であり、またそれを望んでいるということを話しました。
 彼も、自分も当然それを望むとしまして、私の狭い部屋は俄に企画開発予備室へとなりました。
 早速、先日作画監督のおねぇと話した、舞台と成りうる時代の候補を上げ、いずれが相応しいか検証します。
 そして、舞台が決まるとすぐさま、登場人物とその互いの関係、組織構造、政治的思惑、舞台設定……などなどが雪だるま式に決まっていきます。
 あくまでも今回の企画草案は叩き台としての役割が大きいので、下手にキャラクターの外観や性格などを決めてしまうとストーリーが懲り溜まってしまうために、出来るだけそういった個別の設定は考えず、大枠だけを決める方向で議論しました。
 
 物語を書くに於いて重要な要素は、無論ストーリーです。
 このストーリーは「構成」によって厳密に定義され、構成の意図を正確に汲み取り表現する姿がストーリー(脚本)なのです。
 「構成」によって脚本や音楽、画が定義され、場合によってはゲームプログラムすら定義します。
 ですから、「構成」を考えることが最も重要な作業であり、物語を成功させるにも失敗させるにも構成次第であると考えています。
 しかし、例えばキャラクターを先に厳密に定義してしまうと、それに合った「構成」を考える……という逆転現象が起こってしまいます。
 これはつまりキャラクターに振り回される物語が誕生してしまうことを意味し、そのために全体の破綻が起こり、結果、壊滅的な打撃を与えて作品は自己崩壊に陥ります。
 それを避けるためにも、必要最低限の人物設定で当初はとどめ、それを汲んで構成を練るのです。
 そして、構成が出来上がれば自然に書く登場人物の役割分担が決まり、そこでキャラクターに個性が芽生え始めます。
 ですが、おもしろいのはここからです。
 本来、キャラクターを定義するために作られた構成ですが、、その構成はキャラクター達に対する自我境界を生むことになり、やがてキャラクターが「生き」始めます。
 よく、小説やマンガなどで作家が自分の作ったキャラクターが勝手に動き回る……と言いますが、これは本当に起こることです。
 我々の独立旗艦タマカヅラの登場人物も皆、既に今は生きた存在です。
 それぞれが固有の意志や思想、嗜好をもっており、創作者たる我々が彼らをほしいままにしようとしても、彼らのアイデンティティーに反することは決してやってくれなくなります。
 しかし、これは決して創作者の制御下を離れたということではなく、外枠を決める「構成」の中で最大限、精一杯の自己活動を行ってくれていると言えます。
 ですから、構成を立てることによって初めてそのキャラクターを動かすことが出来るのです。
 この日、生み出したキャラクター達ははっきり言って、顔のないただの人形でして、まだ全く生きていません。
 空想の人物達…という感覚のみが彼らを包み込み、自分たちが作ったのに、どこか知らない相手の事を考えているようなのです。
 構成も世界も…自我境界も定義されてない……だから彼らは無限自由を振る舞う様な気がしますが、しかし恰も粘性の強い空気の中に居るように、彼らの動きは愚鈍で、感情が浅はかで、愛するに足りない存在なのです。
 そんな彼らもやがて、逞しい自己同一性を持ち、ついには我々の恣意を拒否して彼らにしか出来ない、彼らになら出来ることを物語り中で果たしてくれる事になるでしょう。
 そうできるか否かは、我々「構成」担当の腕次第なのです。
 
 徐々に私の頭の中で、新企画の世界が広がってきました。
 まだ人物は走り回っていませんが、彼らを取り巻く舞台セットが見えてきた気がします。
 久しぶりの楽しみ方が出来そうな予感です。


 なお、常任メンバーのもう一人はプログラマーのMatsuken。
 当サイトで公開しているフリーソフトの開発や、cgiなどでお世話に成りっぱなしです。
 我々のゲームはMatsuken開発のオリジナルプログラムで動いていますのでバグもいっぱいです☆
 毎度、「マスターアップ!!!!!!」と叫んだ後のバグ取りが楽しくてなりません(えー

by Signature Line

>宏哉:ACC*visualization

これから考えていかねばならないのは、作品そのものの内容だけではありません。
一番重要なのはプロジェクトの管理運営工学を模索すること。
一人ひとりにそれぞれの全く異なった社会的立場があり、それに基づく生活があります。
その中で、共有項を見つけ出し、長期間にわたってプロジェクトを運営し進捗させること。
これが、最大の課題となってきます。なぜなら、タマカヅラは一度この点で失敗しているからです。
複数人による大規模作品制作の組織工学といったものが必要不可欠になってきます。




−>>2004/05/09/(Sun) イベント撮影と雨対!

 今日は仕事はお休みだったのですが、朝からカメラを振り続けた一日となりました。
 当サイトを通じて知り合った某芸術大学に通うRYOさんに、4月頃「今度、堺市の方で市民祭があるのですが、撮影を手伝って貰えませんか?」とケータイにメールがあったため、「その日が休日になったらお手伝いさせてもらいます」と返信しておりました。
 そして、5月上旬の仕事のシフトが出てみると幸いにも9日は休暇。
 RYOさんにメールで「OK」の返信をして、ボランティアでイベント撮影を担当させて貰うことになりました。
 
 初めの話では、RYOさんの知人がRYOさんのTRV900で撮影する予定で、そこに私のVX2000を加えて2カメ体制で収録することになっていました。
 その知人さんは日頃はあまりカメラを触ったことのない人…ということでしたので、900はステージのFFを抑えてもらうだけにして、もっぱら私が出演者の寄りを抜くと言う形態を考えていました。
 ちなみに、RYOさんは今回の祭のステージ責任者の方と知り合いで、その繋がりでMCを任されて、当日はカメラを振ることは出来ないと言うことでした。
 撮影対象はバンドグループなどのライブステージと転換時に披露されるストリート系ダンスの模様。
 音声はPA卓からLINEでもらおうかと考えていたのですが、出演グループや楽器によってはPAで拾わず、生音で聞かせる場合もある…という話でしたのでLINEもらいはやめて、ステージ後方でマイクで音を拾うことにしました。
 実は、私はMIXERを持っていないので、LINEをもらって、場合によってはマイクで拾う…という2回線の入力をカメラに行う事が出来ません。
 これも何と解消しないといけないのですが…。

 さて、イベント当日。
 朝6時に起床し、7時前に家を出ます。
 大阪はあいにく朝からの雨。
 VX2000の雨対策とRYOさんはTRV900用のレインジャケットを持っておられないと言うことで、私のTRシリーズ用のレインジャケットを持参しました。
 もちろん自分自身に対する雨対策も。
 地下鉄と私鉄を乗り継いで1時間ほど掛けて、会場へ向かいます。

 会場は堺市の市立体育館などがあるスポーツ施設のグラウンド。
 幅10メートルほどのステージと客席が綺麗に設置されています。
 会場に入って、ROYさんと落ち合い、その後ステージ運営責任者の方々と挨拶を交わし、早速準備に入ります。
 ただ、ちょっと変更があって、TRV900についてもらう方が来られなくなってしまい、一人でカメラをやってもらうことになるかも…と言われてしまいます。
 900は基本的にステージFFなので、そう動かすこともないのですが、考えていたのはステージ舞台上の演者さんのグループFFを常に作ってもらおうと考えていたので、人がついてくれないと引きっぱなしのステージFFになってしまい、2人組やソロなどの場合、淋しい画になってしまいます。
 責任者の方が、誰か手が空いてないか探してみる、と仰って下さり無事にお手伝いして下さる方が見つかったので、カメラの使い方と撮影して欲しい画を説明してお任せすることにしました。
 もちろん、バッテリーやテープの交換も自分の判断でタイミング良くやって頂きました。
 
 リハーサルで、音のチェックやカメラのポジションを確認し、後は雨の中本番を待ちます。
 そして11時よりステージ開始。
 以降、15時までカメラを降り続けました。
 当初、どのように取材するかを悩んでいましたが、仮にスイッチングがあれば使える2カメ体制…というのを想定して結局曲中に録画を止める事無く、完全収録にすることにしました。
 編集はRYOさんがされると言うことで、最終的な作品の内容や目的が分からなかったので最大限の素材を提供出来るようにしました。

 雨は幸いにも昼から止み、一時は太陽も少し顔を覗かせ、その後も曇り空ながら何とか天気は保ち、途中で雨対を解除して、楽に撮影出来ました。
 撮影そのものは、2カメである事に頼って、私の画はどんどん中間動作を考えず動かします。
 音楽ものですので、編集時には小節やリズムで切り替えが行われるはず。
 知っている曲もありますが、知らない曲やオリジナルの曲は拍子を読みながらカメラを振ったり、自分の痩せたソルフェージュ能力で、曲の1番目を聞いて2番からはそのメロディーに合わせてカメラを動かすなどして、編集点が取りやすいように心がけます。
 後は、RYOさんの編集の腕次第。お任せしますよ。

 カメラをやっていて気になったのは、カメラと三脚の能力。
 やはりVX2000の電動ズームリングは何をするにも中途半端に感じます。
 ズームリングといってもVX2000はリングの回転量と速度を電気的に読みとって、レンズ群の移動はサーボによるもの。
 実際的な機構としてはシーソレバーによる処理と違いはないのです。
 ロックバンドなどの撮影では、すばやいズームでピタっ! ピタっ!っとボーカルや演奏者の顔に画を合わせたいのですが、クイックズームとは行かず、グーン…グーンといった感じで画角が合います。
 実際この動きは編集には使えないでしょうから、ズームが終わったところからIN点を打ってもらうことになるでしょう。
 反対に、ゆっくりしたズームも難しい…。
 VX2000のズームリングとサーボの関係は、回転量によってズーム画角が決まるのではなく、回転速度によって決まるのです。
 つまり同じ角度にリングを回しても、動かす速度が違うと画角は変わってしまうのです。
 この仕組みでは、早く回せば少ない回転量で素早いズーミングが出来るのですが、反対にゆっくりと回すと、ゆっくりとズームは出来るものの回転量が大変に大きくなります。
 グルーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとリングを回さないと最望遠端に達しません。
 ゆっくりしたズーミングを行うにはVX2000では結構テクニックが必要になります。
 ですから、曲の流れに合わせてボーカルの顔にゆっくりとズームインしていく時は、シーソレバーを使って安定したズーミングを行うことにしました。

 そして、三脚ですが私が使っている三脚はLibecのLS-40DV。
 いわゆるVX2000サイズに適合する三脚なのですが、カウンターバランスは付いておらず、トルク調整も出来ません。
 一つ上の50DVという三脚は2段階トルクなのですが、実際使ってみるとあまりありがたみはありません。
 やはり完全バランスするカウンター機能と、無段階トルク調整が出来る三脚が欲しいです。
 会社の先輩カメラマンに、私生活でのビデオ撮影には拘らないのですか? と聞いたことがあるのですが、自分の子どもを撮ったりするのに、仕事と同じように精を掛けることはしないなぁ。と仰っていました。
 まぁ、私のように趣味も仕事も“映像”という先輩はあまりいらっしゃらないので、当然の解答であるように思いますが、日頃の仕事でハイビジョンレンズやVISION三脚などを使っていると、段々贅沢な感覚になっていきます…。

 4時間ぶっ続けでカメラを回し、終わる頃にはヘトヘト…。
 収録したテープをRYOさんにお渡しし、機材を片づけて、会場を去りました。
 果たして無事に使える素材が撮れたのか不安ですが、作品の完成を楽しみに待ちたいです。
 RYOさん、この度は撮影依頼を下さってありがとうございました。
 楽しい一日を過ごさせて頂きました。
 また私でお役に立つことがあれば宜しくお願い致します。


by Signature Line

>宏哉:ACC*visualization

仕事じゃないのに早朝起床。
眠かったです…。
しかし、2ヶ月ぶりの趣味の撮影でワクワクしながら会場へ向かいました。
なんだか、自分の撮影の腕の低さを改めて認識しながら、「すんません、RYOさん」と心の中で謝罪。
頑張って編集して下さい。
さて、次の趣味撮影はいつで、何になるのでしょうか☆




−>>2004/05/15/(Sat) 野球中継、その後に。

 以前、野球中継のカメラの話を書きましたが、今日はそれに関連して短く日記を。

 野球中継のカメラをやりはじめて、大体2ヶ月が経ちました。
 徐々に野球というものが分かって来、少なくとも始めたときよりは状況を理解しながら動けるようになりつつあると思います。(まぁ、まだまだなのですが…)
 中継中は、副調整室のVHSデッキでサブからマスターに行く映像…すなわちLINE映像を録画しておいてもらい、帰宅後、再び録画した試合を見て、反省と復習をします。
 サブにあるVHSデッキは業務用機のため標準録画モードしかなく、200分テープを使っても試合の最後の方が切れてしまっていることが多いのですが、映っている限りのところまで見て、勉強します。

 また、帰宅後楽しみなのは、特にデイゲームなどの場合、夜のスポーツニュースで、自分の画が流れるかどうかを見るのが密かな楽しみなのです。
 私がこの春から就いている某ドーム球場での中継は色々な仕事を一度に抱えており、一つはもちろんテレビ中継なのですが、同時に、館内ビジョンへの映像出しも行っており、そしてさらに「報道(ENG)送り」という仕事も抱えています。
 ENG送りは、ドーム自身が行っている各局への配信サービスなのですが、つまり独占的に生中継で送り出している以外にも、各局へ素材を提供しているのです。
 各局のENG班は大体2カメ体制ぐらい。
 ですから、必然的に撮れる画は限られてきます。
 そのため、各局は自局のENG素材と、我々のENG送りの素材を使ってニュースを構成するのです。
 特によく使われるのが1カメと2カメの画。
 特に1カメが撮るPCの画は、並列放送局が無い限りは、我々の画だけになりますので、必ずと言っていいほど使われます。
 夜、23時頃から、スポーツニュース番組を梯子します。
 NHK、JNN系列、ANN系列、FNS系列、NNN系列……と各局横断です。
 その中でPCの画だけでなく、ホームランやタイムリーヒットを放ったバッターランナーをフォローしている画が使われたり、監督を抜いている画を使われたりすると更に嬉しいです。

 今日も、現在、夜のスポーツニュースを追跡中。
 週末のこの時間帯はあまりニュース番組やってないですね。

by Signature Line

>宏哉:ACC*visualization

例のゲームの企画ですが、徐々に進行中。
焦らず、ゆっくりゆっくりと進めています。
昨夜は、構成担当の“おねぇ”と“おにぃ”の三者で構成プチ会議。
幾らか重要な設定などが決まりました。
まだまだ、今の段階では私が、基幹となる意見を蓄え、出して、纏めなければならず、苦悩中。
しかし、他の担当者と話すと、色々と優先的に決めていかねばならない課題が見えて、進展します。
さてはて、次はどの課題に手を付けましょうか。




−>>2004/05/24/(Mon) 記憶装置概観〜とりとめもなく10年後の予想〜

 まず、HDDは強い。HDDの利点も欠点も、HDDが読み書き装置を内蔵していることから来ている。
 容量・ビット単価は恐ろしい勢いで下がっていく。一時期は1年で倍になっていった。それに伴い、速度もグングン速くなていく。それでいて、互換性の問題は少ない。電気的な接続だからだ。(容量の問題である、512MB, 2G, 8G, 32G, 128Gの壁程度)
一方、HDDは脆く長持ちしない。少なくとも、1記憶装置として10年も持たない。(システムとしてのHDDは別)
また、その特性から、HDDを一般配布メディアとして使うことはできない。HDDは容量単価で安いのであり、一個の絶対的な値段としては安くなく、読み書き装置の分CD/DVDとは勝負できない。200GBのデータを配布するなら話は別だが。
 つまり、仮令、信頼性が向上しても、HDDはDVDなどのメディアを排除できない。逆は、HDDの容量向上が止まればありうる。実際、一時期、128MBのMOが達成していた。

 CD/DVD/テープは、読み書き装置と、記憶装置を分離している。
そのため、メディアとして信頼性を持ち、大量生産が効くが、容量の向上は至難である。CD-Rの容量は、その登場から比して結局1.5倍にもなっていない。CDからDVDには、読み書き装置の変更が必要だ。

一般配布について、CDは◎。DVDは、△〜○。テープは、VHSに限り◎。
 DVDを映像の配布目的として用いることは、これからの1〜2年では、HDD/DVDレコーダが大普及すると予測されることからも有望だ(メディアの値下がりも期待できる)。ただ、ふつうの人が、たとえば単身赴任などで一人暮らしをするとき、VTRとDVD/HDDレコーダを排他選択するかは疑問で、その意味でVHSはあと10年は残る。
 青色などは、DVD/HDDの普及を見る限り、この10年は絶望だ。バックアップ目的でしか使いようがないだろう。

10年後には、テラバイト単位のHDDが一般的になると予想される。それは、一般向けPCにHD映像録画機能が付くことと同義だ。10年後にはそれなりの普及が予測される青色をバックアップデバイスとして使用しても、比率は、いまのHDD:DVD-R*と変わらない。(HDD1台:ディスク20〜50枚)

 「10年後の一般配布メディア」を想定すると、ネットワーク(Ethernet/Internet/P2PNetwork)を忘れてはいけない。現在もソフトウエアではそこそこの数のものがネットワークを介して配布されている。現在、10年前のソフト−フロッピー何十枚程度−のサイズのものなら、楽々配布できるというわけだ。10年後に、CD数枚〜DVD程度が楽々配布できていてもおかしくはない。ブートさえ何とかすれば、インストールメディアとしてのCDの命運を絶つ可能性がある。

 メモリは、ムーアの法則を当てはめると、10年で約10倍になるので、ようやく5GB〜40GBといったところ。シリコンオーディオならぬ、シリコンビデオが出現しているかもしれない。
 ROMにOSを内蔵し、不揮発RAMにデータを蓄えることが実用的になり、バックアップはネットワーク上にでも置けば、ディスクレスを達成し、信頼性を劇的に向上させる可能性がある。OS・一般アプリを重くするにも限度があるからだ。(この種類のネットワークPCは、これまでにも何度か流行らそうという努力がなされたが、今現在、PDAを除けば、流行ってはないけれど。)

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とりあえずage。
>Matsuken:ACC*Software

急に東海市への転勤がきまった。
新生活では、VTRを捨てて、SmartVisionでも買おうか思案中ナリ。
TVは、1万円理論(土地は1万円が敷き詰められているのと同じ)では
ステだが、視聴距離の問題があり、PCの液晶との共用は難しい。




−>>2004/05/31/(Mon) すべてがFFになる。

 HDDがぶっ飛んだ。
 ここ3年ぐらいのWorksがすべて微塵に……。

 ………といっても私のPCの話ではない。
 嫁(=彼女の事ね)のマシンの話である。
 もともと最近不安定だったようなのだが、2週間ほど前にお釈迦になったそうで、その日は憂さ晴らしにわざわざ大阪まで夜だというのに出てきた。

 で、とにかく今使えるPCがない状況なので、新しいマシンをどうにかしたい――という話になるわけだが、とにかく安く高性能に……という贅沢な要望を満たすには、メーカー製PCでは役者不足。
 「安定」を重視するならば、メーカー製が手っ取り早いのだが、5万円以下にして欲しい……ではちょっと無理な話。
 で、ディスプレーなどは不要な訳だから、ではマウスコンピュータとかのカスタムPCにして、必要最低限のスペックを満たそうかと思案。
 色々探すのだがなかなか“私”の満足する物がない。

 結局、安定性の部分には注意書き付きとなるが、自作することにした。
 最後に組んだPCが現在の編集用メインマシンなので2002年7月以来…となる。
 いつもそうなのだが、自分がマシンを組む時期以外は、極めてハードの事に鈍くなる。
 周辺の遊び心があったり、ユニークなアイテムについては情報収集を欠かさないが、基本的なマザーボードやCPU、チップセットなどについてはさっぱり分からない。
 例えばPentium 4の事情とか、Athlonの事情とか……メモリは流用出来るのか? チップセットは何が流行か? まったく頭に情報がない。
 
 そんなわけで、松ケン氏の助言を得て、彼が昨今組んだマシンのスペックを参考に Athlon XP でマシンを組むことにした。
 彼が通販で利用した店は大阪の日本橋にあるということなので、休日に早速日本橋へ行ってみた。
 
 今回のマシンの基本概要は次の通り。
  ・予算:4万以下でヨロシク。(自作するとなってさらに予算が切りつめられた…
  ・OSを購入すること。
  ・HDD、ケース、グラフィックカード、ディスプレーは不要。サウンドはオンボードで。
  ・メモリは512MB以上を(私的に)希望
  ・CPUは速ければ速いほど……

 嫁は映像編集などはしない。
 絵は描くので、メモリは多く、CPUは速く…にこしたこと無いのだが、ハイスペックが求められる理由は、別にある。
 最近流行の、ネットワークゲームプレーのためである。
 特にRPG系ネットワークゲームには3DCG制作に求められるような高い機能のマシンが必要になる。
 やっているタイトルは“FF11”なのだが、とにかく要求するスペックが高い。
   ・OS Windows XP Professional (日本語版)
   ・CPU Intel Pentium(R)4プロセッサ以上
   ・メインメモリ 実装256MB以上
   ・G/B NVIDIA GeForce3, GeForce4 Tiシリーズチップ搭載VRAM64MB以上
 これは推奨環境だが、快適にプレーするには確実にこのスペックは満たさなければ、動きがまごついて鬱陶しくなる。

 就中、G/Bに求められる性能はノンリニア編集に求められるそれを大きく上回り、快適さの勝負はG/Bにあると言っても過言ではない。
 G/Bは既に以前、NVIDIA GeForce FX5700 系を購入してあるのでそれを流用。
 となると、張り込むのはCPUに絞られてくる。
 安く速く…と満たすために選択肢をAthlon XPに絞り込み目標 Athlon XP 2500+ 以上を狙う。

 店では、M/B、メモリ、CPU、OEM購入した場合のOSの価格をそれぞれ確認し、それらが予算中に幾ら占めるかを計算しながら、M/BとCPUの性能向上を計る。
 一番時間を掛けたのがM/B。
 本来、私が自分の編集マシンを組む場合、M/Bの選定に一番時間を掛けるのだが、今回は、予め候補を立てずに、現場で選ぶことにした。
 ……が、チップセットがさっぱり分からない。
 「いや……いつの間にそんなのが?」と思いながら、数枚のM/Bを手に取り、スペックを見比べて、結局9千円弱のVIA系チップセットを積んだM/Bを選んだ。
 CPUは、Athlon XP 2700+、メモリ PC2700 512MB、OS Windows XP Home Editionである。
 総額で40,600円。まぁ、600円オーバーだが、それは私が持とうではないか(ショボイ彼氏でスミマセン。

 買い物を済ませて夕方から嫁ん家で、マシンを組み立てる。
 松ケン氏と同様、CPUクーラを取り付けるのにかなり苦労し、コア欠けなどをかなり心配しながら組み立てを進めたが、無事にOSもインストール出来、動作も正常であった。

 早速、各種ドライバを入れ、Photoshopなどもぶち込み、元あった姿に戻していく。
 最後に、大仕事のFF11 PC版のインストールだ。
 CD-ROM 4枚組みで、さらに「ジラートの幻影」用の追加ディスク2枚を入れて……全部で6枚構成。
 一昔前のFDアプリのインストールを彷彿とさせる…。

 せっせとインストール作業を済ませ、無事にNEW PC完成。
 FINAL FANTASY XI for Windows オフィシャルベンチマークソフト2 を走らせてみたが、快適に動くだけのベンチ結果が出た。
 私の編集用マシンでのベンチが「4924」でそれには少々及ばないが、それはCPU性能が今回のマシンの方が上であるのに対して、私のマシンの方がG/Bの性能が高いためであろう。尤も、NEWマシンも4千後半のベンチであるので、動作的には何の問題もない。

 というわけで、現在の嫁のマシンは
 OS:Windows XP Home Editon
 CPU:Athlon XP 2700+
 Memory:PC2700 DDR333 CL2.5 512MB
 HDD:ATA100 5400rpm 40GB
 G/B:NVIDIA GeForce FX5700LE DDR128MB

 となっている。
 映像編集なども(HDDを除けば)十分に出来る仕様である。

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>宏哉:ACC*visualization

今、編集用マシンとしてのニューマシンはあまり欲しいとは思わない。
現状32bit CPUで次に買うならば、クロック4GHzを越えないと買ってはいけないことになっている。(自主条約)
寧ろ、サブやエンターテイメントに特化したマシンが欲しい。
DivxやXvid、WMVなどで圧縮した動画をテレビに映して視聴するための所謂「マルチメディアサーバ」である。
今はこのノートPCがその役割を見事に果たしているが、特化していない分役不足と言えば役不足だ。
スペックを限定して、専用の仕事をするマシンを作りたい。
あとは、主力型ノートマシンが欲しい。
ベアボーン系のノートで、17吋ワイド液晶。CPUにPentium 4 3.0GHzを積んで…………………。