■2003年12月02日(火)
いや、だから生きてるって。
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えっと、三連休でした。 土曜日に一日だけ料理番組の中継収録があったのですが、その翌日の日曜日から今日までお休み。 久々の三連休。 五月以来ですか??
さて、連休初日。 寝てました。とことん。 前日は23時頃に寝たのですが、起きたのはお昼の15時ぐらい。 それから、ウダウダして、飯食って、また23時頃に寝ます。 この日はこれだけ。 2日目はクリエーティブに生きましょう…ということで、計画凍結中のPCゲーム「独立旗艦タマカヅラ」の再制作に取りかかるために資料を纏めて、またそれを基に色々と設定を再構築。 しかし…なぜでしょうか…あまり筆が進みません。 ちょっとの脳みそがカビているようです。 まず、言葉が出てこない。語彙が貧困になっているかも…。広辞苑と英和・和英、ことわざ辞典などを側に置いて…言葉に詰まりながらの執筆。 「吶喊」という単語が出てくるのに5分も掛かってしまいました。(結局使わなかったけど…)
そして連休最終日の今日。 煮え切らない…煮え切らない休暇だ…。 クリエーティブに生きてない……。 ゲーム製作チームの脚本家から昔に書いて貰った脚本を全て送ってもらって読み返したり、自分の好きな作品を見たりして「創作意欲」を呼び覚まそうとするのですが…………だるぅ〜。 色々とアイデアは湧いてくるのですが、それを文字に出来ない…。なんといいますか、脳みそから指先に着想が伝わってくるまでに激しく劣化しているような感じです。 最近この手の創作作業をしていなかったために鈍っているんですね。 これからは徐々に仕事後の創作時間も確保していって、恒常的に活動していこうかなぁと。 凍結しているプロジェクトが再起動するにも私がまずは動かないとなにも始まらないので、まずは私のモチベーションを上げていくつもりです。 とりあえず、部屋の状態は今のままでクリエーティブに生きていきます。
で、明日から仕事かよ。 頑張ります。
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■2003年12月03日(水)
もう〜いくつ寝ると、お正月♪
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お仕事です。 今日は午後からの現場集合。 大阪城近くの某ホールでの公開録画番組の収録…のセッティング。 本番は明日で、オンエアは2004年正月。 そうです、『正月番組』の収録が開始される時期となりました。 会場は以前某アーティストグループのライブ収録行ったことがある場所。
現場に到着後、機材を機材車からおろし、まずはケーブル布線から。 その後にカメラを各ポジションに運んで、カメラチェックです。 私がチェックに付くカメラは何故かしらトラブルが多いのですが、今回も例に漏れずトラブル発生。 カメラには確かにケーブルを繋いでいるのですが、CCU側ではケーブルがOPENの状態…つまり何処かが繋がっていない状態になっているというのです。 色々と調べて貰いましたが、結局は中継車側の引き込みの問題であったようで、出先や途中のケーブルが原因ではありませんでした。 その後はスムーズに作業は進行。 カメラマンもカメアシも多くが手を持て余しているほどに時間的にも作業的にも余裕があり、18時過ぎには解散となりました。
今回のアシスタントの人数は私を含めて10名。大人数です。 カメラは全部で12台しか出ていないのですが、その殆どがハンディーカメラであるために、ケーブルを捌くためのカメアシの人数が多いのです。
明日は9時に現場集合。収録終了から撤収までが23時と聞いています…。 その後反省会が開かれるとかいう話ですので、既にタクシーチケットが今日配られていました…。 明日は一足早い正月気分(?)を味わって参ります。
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■2003年12月04日(木)
ずんずんずんズンドコ、ひやま〜。
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今日は正月番組の収録本番。 朝9時に現場入りで、リハール開始です。 まずはドライリハ。 予定ではドライリハは午前中で終わるはずだったのですが、一部の演目のリハは昼食後に。 それが終わった後は少し休憩を挟んで、カメラリハです。 ドライの時は我々技術陣は人や美術の動きを観て大まかな番組の流れを把握し、カメリハでは、実際にカメラを定位置に動かして、画を作りスイッチングをして本番に向けての検討を行います。 カメアシもこの時のカメラの動きからどのようにケーブルを捌いて、三脚をいつどのような状態で準備するか、などを決める材料にします。 カメリハが終わったあたりから客入れ。その間に夕飯を摂り、夕飯が終わってから少しだけ最後の打ち合わせを行い、最終的なカメラの動きやカット割りなどを決定します。 カメアシもカメラマンに変更点などを確認して、本番の流れを頭に入れて待機します。 そして、本番。 大きなホールの中を各演目のカメラ割りに従ってハンディーカメラやらデカカメが縦横無尽に動き回ります。 ケーブルは交錯。 同じようなポジションにカメラが2〜3台並び、それぞれがそれぞれのサイズの画を撮ります。 一つの演目が終われば美術の転換。 その間にカメラは次のポジションに移動します。 伸びきったケーブルを巻き戻り、他のカメラのケーブルを潜り、また再びケーブルを延ばし、他のカメアシさん達にケーブル捌きの一部を手伝って貰ったりしながら目的地に辿り着きます。 私の就いたハンディーカメラは、ステージにも上がり、出演者に寄って撮影することもありました。 ステージ上でのカメラの動きはそれほど大きくはありませんが、カメラがステージ中央近くまで行くこともありました。 ステージはホール後方のカメラのルーズ目の画や、動き回るクレーンカメラなどが狙っていますので、どうしてもアシスタントの私も見切れてしまいます。 タリーが付いている他のカメラの向きや動きにも注意しながら出来るだけ見切れないようにカメラマンの背中に入ったりしていましたが、特にクレーンカメラにはどうしても入ってしまいました。(会場に出ている大型ビジョン映像で確認していました。) 収録終了は……何時かよく分かりませんでしたが、撤収〜打ち上げ終了は25時。 そこからタクシーで帰宅しました。
明日はデスク勤務です(機材整備)。 定時出勤ですのでゆっくり寝られそうです。
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■2003年12月08日(月)
モニター持って三脚持って、ピンマイクを取り付けて…。
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最近さぼり気味なカメアシ興行紀。 とはいっても、一昨日・昨日は休暇だったわけで…。
さて、今日はENGのカメアシのお仕事。 先月末に出ていたシフトでは、今日は本当は機材整備になっていたのですが、先日ENGのカメラマンが私に直接、「今度の月曜日に、またENGのアシスタントお願いするわ」と仰ってくださいまして、無事にシフト変更もなされたようで、今日は久々のENGカメアシとなりました。
本日のENGもCM撮影。 某化粧品メーカの男性用化粧品他のCM。 CMといっても番組間に流れる性格の物ではなくある特定の番組内で流すCM。 ロケに出発する前に社内で商品撮りを行い、また同時にコメント収録を行います。 出演者はモデルではなくナビゲータの役割を果たす女性と、メーカの男性社員。 商品撮りが終わればロケに出発です。 初めは何処で撮影しようか…? という風に迷っていたようですが、結局大阪城で撮影することに。 もちろん、上述の通り何処で撮影するかなど直前まで決まっていなかったようですので大阪城での撮影許可を貰っているわけではありません。 ですので大阪城のお堀の外、石垣の見える場所から、且つ大阪城が写らないポジションで撮影。 何故だかゲリラ撮影敢行です。
ロケ収録が終われば次は某化粧品会社の会議室へ。 そこで、ナビゲータが化粧品会社に商品の特徴などを聞くという形式で商品を紹介します。 出演された化粧品会社社員の男性も長い台詞をスムーズに尺に収めて話してくださいましたので収録も予定より早く終了。 10時から撮影を始めて16時前には終了することが出来ました。 帰社して、機材を片づけて解散。 やっぱりENGのお仕事は楽しいなぁ〜と改めて思ってしまうのでありました。
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■2003年12月09日(火)
Wで始まるレスリング。
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プロレス中継でした。 当然の目標ですが、「巧く仕事をやる」を目標に努めている訳ですが、要は要領よく、周りを見渡して、そして出来るだけバイトカメアシさんに指示を出せるように…と励んでいます。 今日の仕事ぶりは順調。 3回目か4回目になるプロレス中継ですのでセッティングの段取りなどは判ってきました。 本番中は前回「何とかせんかぁ〜っ!!」と叱られたカメラマンのケツに就いてケーブルを捌きます。 今日は機嫌が良かったようで、何度かケーブル捌き中にミスったりしましたが特に叱られませんでした(笑) 本番中もスムーズに仕事をこなし撤収へ。 撤収も段取りよくこなし、22時過ぎには帰社できました。 今日は給料分の仕事が出来たと思います。 さて、帰社してみると12月下旬までのシフトが出ていました。 大晦日前後はまだ出ていませんでしたが、私の誕生日の頃は沖縄へゴルフ中継(まだ在ったのか…)、クリスマスも中継のお仕事が入っておりました。 年明けの正確なシフトは不明ですが、毎年高校時代の友人らで集まっていく初詣には出席できない感じ…。 アーティストのカウントダウンライブなどにつけば大晦日から年明けに掛けての仕事になる可能性もあります。 まぁ、基本的に「お盆」もないことですし、今更驚きもしませんが…。
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■2003年12月10日(水)
夢では飯は食えませんよ。
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今日は前々より労働組合が様々な対策が考えていた「社員説明会」でした。 この社員説明会、経営側が今後の「人件費削減」についての提案説明をするためのもの。 従業員全員に説明するために、2日間にわたって時間も分けて数回開かれます。 私はその初日の第一番目の説明会に出席するために出勤。 第一回目には管理職の者と、一部労働組合に入っていない従業員が呼ばれました。 なお、私は現在のところ労働組合には入っていません。
人件費削減を目標としている提案でありますから、当然財務諸表が見られるはずだ……というか見られなかったら食って掛かってやろう…と思っていたのですが、テーブルに着いてみるとちゃんと貸借対照表と損益計算書などの書類が揃えられていました。 説明会の内容は主に貸借対照表(バランスシート)を中心に進められていきます。 バランスシートについては企業会計の知識のない者にも判るように、各項目ごとに詳しい説明がなされました。大学の会計学の講義を受けているような錯覚に陥りましたが、結論としては「利益を確保する構造を作り出すために、固定費の圧縮、固定費の変動費的化などを行いたい」ということ。 諸手当の一部廃止、削減、時間外労働を減らすための実働8時間化(8時間の実質労働に1時間の休憩で朝の10時から19時までの勤務)など…。 う〜む、正直、労働者としては辛い提案です。 現状でも休日出勤や長時間の残業が在るというのに、そのあたりに付く手当がバッサリとカットされるのですから……労働意欲も低下するというものです。 労働組合は今までリストラ(首切り)に反対してきましたので、このご時世に於いても我が社ではリストラはなされてきませんでした。 頭数が減らないとなると、会社としては一人あたりの人件費を削減する他ありません。 経営努力によって、他の支出などをスマート化出来ないか…と思うのですが、財務諸表をを見る限り難しいかもしれません。 出席者の何人からかは意見が出ていましたが、ことごとく返り討ちに遭います。
午後からは労働組合加入者への説明会。 しかし、労働組合員は午前中にストライキを行い、また説明会には一切参加しない…という方針で通したようです。
世間ではボーナスの時期のようですが、ボーナスにしても組合と会社側が妥結していないようですでのまだ私の会社では出ていません。 妥結しても諸手続の関係でボーナスが支給されるまで2週間ほど掛かるようですから……年明けになるのでしょうか…。
さてはて……どうなっていくのでしょうか…。
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■2003年12月15日(月)
☆沖縄☆
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先週末は某劇団の公演収録。 それが終われば土・日曜日と休暇でして、とにかくも一時期と比べれば定期的にそこそこ休みも取れて、ゆっくりと過ごせているわけですが…何故だか休みの前日は決まって日記を更新していないなぁ…と思う今日この頃なのです。
さて、本日はゴルフ中継の準備。 今週後半から「沖縄」です。 宮崎県を最後に本年のゴルフ中継は終わったものだと思っていましたが、さらに国内を南下して沖縄へと行き着くようです。 ただ、それほど規模が大きくないのか、持っていく中継車は小型中継車。 しかし…対して持っていくケーブルはいつもと変わらない量です。 よくよく資料を読んでみると、ケーブルのつなぎ換えがある模様。 これはまた布線がややこしくなりそうで……(涙)
我々スタッフが現地にはいるのは木曜日の午後からなのですが、中継車や機材車は今日の夕方に出発。 フェリーで乗り継いで沖縄に入るようなので時間が必要みたいです。
ゴルフ中継の機材の積み込みが終われば、明日の仕事に就いている先輩と2人で明日の仕事の準備。 今日中に持っていく物を揃えられれば明日の朝が楽になるのが道理ですし、またゴルフ中継機材の積み込みが終わったのが14時過ぎで、終業まで4時間もありましたので……まぁ有意義に使おうというわけです。 その準備も16時には終了。 残りの2時間は私は中継小物を作ったり、機材庫を掃除したり、汚れている軍手やウエスを洗濯して干したり…と雑務をこなして終業しました。
関西は大分寒くなってきました。朝に吐く息がもう白いのですね。 故郷滋賀では明日は雪の予報。 皆様、お体に十分お気を付け下さい。
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■2003年12月15日(月)
ちょっと間借りします。
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喪中につき年末年始の ご挨拶ご遠慮申し上げます
三月に祖父が永眠いたしました。 ここに本年中に賜りましたご厚情を深謝致しますと共に 明年も変わらぬご交誼のほどお願い申し上げます。
平成十五年十二月
管理人;宏哉
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■2003年12月16日(火)
浪漫飛行へ In The Sky!
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本日のお仕事は某男性アーティストのコンサート収録。 大阪市内の…会社のすぐ近くのコンサートホールでの公演で、車で3分もかかりません。 機材は昨日のカメアシ興行紀に書いたとおり、殆ど昨日のうちに揃えておきましたので、朝はハンディーカメラとデカカメ用のレンズなどを積み込むだけです。 今回の収録は依頼主側の予算の関係でVTRのフォーマットはDVCAM収録。 うちの会社にある機材は全て放送用ばかりですので、中継収録に使えるような業務用のDVCAMデッキは一台もありません。 ですから、DVCAM機器を借用してそれを中継車に載せての収録です。 私が確認した限りでは、DSR-2000 x3台・DSR-50 x2台・DSR-1500 x?。 後でVTR課配属の同期社員に聞いてみるとDVCAMは全部で9台回っていたそうです。 カメラは8カメありましたから、8台をパラ収録用、残りの一台をLINE収録用に使われた物だと思います。 コンサートホール内のカメラは4台がデカカメ、1台がハンディーカメラ。残りの2台は依頼主側が用意したDVCAM/DVのハンディーカム。 楽器のピアノとパイプオルガンの奏者の手元をリモート雲台で撮影するためも物です。 一台はお馴染みVX2000。もう一台はPD100でした。 2台のカメラはステージ上のカメラとなりますので、出来るだけ小さいカメラがいいのでしょうからこの様な機材になったのだと思いますが、しかし他のカメラ(我社側のカメラ)が全てハイビジョンカメラであるに対して、これらのカメラでは力不足ではないかと下っ端ながら思ったわけです(笑) しかも収録は「16:9」。 尤も、16:9とは言いましてもSD収録です。 DVD用にスクイーズで収録されているようです。
朝の10時頃からセッティングを開始し、カメ調、リハーサル。 カメ調はカメラマン達が打ち合わせをやっている間にカメアシ3人で行います。 コンサートなど収録では、照明さんとの連携も大切になってくるのですが、カメ調と照明調整のタイミングが合わない場合はENG収録などで使うバッテリーライトを利用して3200Kあたりでカメ調を済ませてしまいます。 今回はそのパターンでのカメ調。 ただし、会場が真っ暗ならばバッテリーライトの光そのものが指標の色温度となるのですが、会場の明かりがある場合はバッテリーライト以外の要素ということで色温度が一定しません。 そこで暗幕を使って周囲の光を遮り、バッテリーライトだけの光が調整用のグレースケールに当たるようにします。 バイトのカメアシさん2人にグレースケールと暗幕を持ってもらい、私がバッテリーライトを片手に掲げて、カメラを振ります。 今回のデカカメの仕様はデマンド仕様。つまりズームとフォーカスを「押し引き棒(ズームシャフト)」で行うのではなく、左手のズームレバーと右手のフォーカスダイアルを使って行うわけです。 ズームシャフトならば右手だけでズームとフォーカスを合わせられるのですが、デマンドはその操作が左右に分散させられているわけですから、片手にバッテリーライトを持って、もう片方だけでズームデマンドとフォーカスデマンドを行き来してグレースケールに画角を合わせて合焦させます。 それを6台行います。 2台のDVカメラはオートホワイトバランスで構わない…ということでしたのでVX2000などはそのままで…。
さて、本番は19:00から。 本番中にはカメアシの仕事はありませんでしたので、2人のカメアシさんは二階席のカメラの近くでコンサートを鑑賞。 私は各カメラが作り出す画を勉強のために見たかったので、モニターが見られる部屋に行って画面を見つめます。 アーティストのコメントも交えながら、知っている曲が演奏され歌唱されます。
コンサート終了は予定をちょっと回って21時過ぎ。 その後、急速撤収。 ステージの美術さんと撤収がぶつかってしまうのを避けるために、映像が先に撤収。その後美術さんが撤収されました。 帰社して機材を降ろして23時。 今日も長い一日でした。 さて、デスクに戻ってみると年末年始のシフトが出ていました。 年末は空白(仕事が入るか休暇か不明)でしたが、年始は元旦・二日と仕事が入っていました。 正月の生中継番組です。 この仕事に就く前から覚悟はしていましたが……鬱ですね(笑)
明日は休暇です。
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■2003年12月18日(木)
“うちなー”より愛を込めて。
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沖縄に来ております。 こちらの気温は17〜20℃前後。 半袖で十分にやっていける気候です。
伊丹空港を10時前に飛び立ち、那覇に到着したのが12時。 空港で昼食を摂ってから現場たるゴルフ場へ向かいます。 ゴルフ場に到着すれば、トラックから機材を降ろし、セッティングの準備をします。 まずは、ゴルフ場を実際に歩いて回って、ケーブルの布線ルートを確認します。 今日の現場はプレーヤーが実際にゴルフのプレーをしていましたので、ケーブルの布線を早速行う訳にはいきません。 ですから、まずは放送席のモニター類の設置から始めます。 私は、モニター結線で必要なケーブルやコネクターを先輩に渡していく役。 モニターペン、VDA、八束同軸、五束同軸、液晶モニタ…と線を繋いでいきます。
放送席周りが一段落すれば、ケーブルの敷設に入ります。 今回は「出先」からの布線。つまりカメラ側からケーブルを引っ張っていって、中継車まで繋ぎます。 今回のケーブル結線プランはつなぎ換えの連続。 少ないカメラと少ないカメラマンで多くのホールとポジションを担当し、多くの画を作っていきます。 4人のカメラマンで11台分のカメラポジションを賄うことになります。 一方、カメアシは3名。カメラも一緒に移動しますのでその際の三脚移動を担ったり、ケーブルのつなぎ換えを坦務することとなります。
今日は中継車に比較的近いケーブルの布線を行い、全体布線のの半分前後は終了したと思います。 まだ沖縄の日は長く、18時ぐらいでもまだ仄かに空は明るく、暗くなるギリギリまで今日は作業を行えました。 夜は那覇の市街地で沖縄料理を食します。 オリオンビールから入って、泡盛、ゴーヤーチャンプルーやグルクン、豆腐よう、もずくの天ぷら、島らっきょ、ラフテーなどなど…。 私は5年ほど前の学生時代に沖縄に観光旅行に来たことがありましたが、その時はあまり沖縄郷土料理を美味しく思わなかったのですが、5年の歳月が何を変えたのか、結構口に合いました。
夕食後は自由行動。 皆、それぞれに夜の沖縄の街に繰り出します。 書き記すなら、沖縄の「キャッチ」は“しつこい”です。
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■2003年12月19日(金)23:31
Happy Birthday to Me.
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寒すぎる……寒すぎます。 本土は顕著であったかと思いますが、今日は全国的に強い冬型の気圧配置だったようで、各地で雪も降ったとか。 南国沖縄もその余波を受け、「沖縄に来ているとは思えない」寒さでした。 昨日の感覚で私の服装はTシャツにウィンドブレーカのみという軽装。 ……凍死します。 空は曇りで陽も殆ど顔を出さず、また強風が吹き荒れ、沖縄で震えておりました。 流石に昼を過ぎるとこの寒さに耐えられなくなり、雨合羽を上に着込んで寒さ対策を行います。
今日の仕事は、回線やカメラのチェックです。 それぞれのカメアシが担当のカメラマンに就いて行きます。 私はクラブハウス前を担当されるカメラマンに就きまして、そのためワイヤレスインカムや6インチの小型モニターなどを一緒に持っていきました。 チェックが終わると、極端にやることが少なくなります。 昨日も書きましたがプレーヤーがプレーをしているためになかなか気ままにケーブルを布線出来ません。 今日はあと一つのホールだけがケーブル未布線で残っていて、それが終われば布線作業は完了だったのですが、プレーオフになる時までひたすら待ちます。 その間に、放送席周りやそのほかのカメラポジションなどで出来る仕事をして時間を使っていきますが、それでも手持ち無沙汰の時間が多くてなかなか落ち着きません。 体は動かさないわ、待機は外だわ…で益々寒さを感じるわけです。
陽も水平線に近づき、あたりが大分暗くなってから残りのケーブルを布線。 崖っぷち沿いにケーブルを這わせるために皆足下に慎重になって布線していきます。 完全に日が落ちきった頃に布線終了。 その後、音声さんのセッティング終了を待ってホテルへ帰着です。 本日の終業は20時。 晩飯は「焼き肉」となりました。
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■2003年12月20日(土)
中継とENGの梯子。
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さて、いよいよプレーの撮影・収録です。 朝0530時にホテルを出発。 現場に0600時に到着しましたが辺りは真っ暗。 懐中電灯を照らしながらのセッティングです。 0800時から生オンエア開始。 が…本番寸前、一つのカメラのケーブル不良が発覚。 機材車に一番近いところに居た私が、機材車まで予備ケーブルを取りに走り、カートで出先の(しかも一番遠い)ホールへ持っていきます。 持っていってケーブルの接続が出来たのが0800時直前。 ギリギリ間に合いました。
その後は予定の仕事を行います。 私が就いたカメラはキャディーマスター前、2番ホールグリーン、9番ホール3rd ハンディーを担当します。 初めのキャディーマスター前というのは現場実況のアナウンサーがフリップを使って解説をしたり、選手を捕まえて(笑)インタビューをしたりするカメラです。 それが終われば2番ホールへカメラごと移動。ケーブルを繋ぎ変え、移動します。 さらに、それが終われば今度は9番ホールへ。 9番は3rdハンディーだったのですが、出先の150mのケーブルを一人で捌かなければなりません。 はっきり言って大変でした。何よりもケーブルが重い……光ケーブルを100m以上「手8」で巻き取って、動いて、ケーブルを落としていかねばなりません。 さらに、ハンディーで動いたあとに三脚が必要になって三脚を取りに走ったり。 明日は、9番ホールプレー中に手の空いているカメアシさんに一人来て貰って手伝って貰う予定です。 9番ホールが終われば我々は撤収です。 終わったのが多分1430時前後。 しかし、それが終わったら、今度は明日のオンエア中に流すVTRの素材をENGで撮りに行きます。つまりENGです。 カメラマン一人に制作やアナウンサの方と一緒の収録です。 私の就いたカメラマンがそのロケの担当でしたので、私も一緒にアシスタントでロケ現地にマイクロバスで向かいます。 ゴルフ場にはまだ片づけたりしないといけない機材が残っていましたが、他のカメアシさんに任せて、中継車に帰って来るや否やバスに乗り込んで移動しました。 ロケは無事に終了し、明日のVTRの素材は揃いました。 その後タクシーで直接ホテルに帰還。 一時間ほどおいて、今日の夕飯は制作の方々とアナウンサーの方と一緒に食べにいきました。
明日も0530時出発。 早く寝ます。
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■2003年12月21日(日)
誤断か勇断か。
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帰阪です。 中継最終日にして漸く沖縄は天気に恵まれました。 出張前に期待したような晴天の空とはいきませんでしたが、太陽も青空も顔を見せ、Tシャツ一枚にウィンドブレーカでも暑いぐらいでした。 中継が終わり、撤収をして1530時前には現場を発てる状況へ。 帰りの飛行機は長崎で乗り継ぎをして関空へという経路。 那覇空港で家族などへの土産を買い込み、長崎空港では何故か「鯨カレー」を購入したりなどしたのですが(笑)、この長崎空港でちょっとした出来事が。 以前からの危惧…というほどのことでもありませんが、気にしていたこととして「このサイトがいつ仕事関係の人間に知れるか」という件についてですが、本日遂に「バレ」ました。 “バレてしまった”というよりは“バラしてしまった”という方が正しいのですが、長崎空港で乗り継ぎ便を待っているときにメールチェックをしていたのですが、その際に「お前のホームページ見せてくれ」と言われまして、公開(笑) 私が出張の度にパソコンを持ってきていることは皆さんご存じでしたし、持って行ってる主な理由として「メールチェック」を挙げていたのですが、さすれば「どこからメールが来るねん」という事で、その回答として「自分のサイトからのメール」と返答したわけです。 もちろん、そうすれば「お前のホームページ見せてくれ」となることは判っている訳で、なんというか冒険心というよりは寧ろマゾヒスト的な心持ちで正直に答えた訳です。 そして、つまりはそのリアクションが“楽しみ”でなりません。 乗り継ぎ待ちの短い時間でも既に「カメアシ興行紀」の存在は確認されていますし、何よりも“acc96.com”というオリジナルドメインは暗記するに何の労も要しない判りやすさです。 今日は皆疲れてわざわざ当サイトにアクセスなさることはないと思いますが、明日以降であれば、見に来てくださる可能性はあります。 それによってこのカメアシ興行紀の文面に変化が起こるのか、はたまた会社での私やその周囲の関係に変様が訪れるのか、現時点では全く判りません。 最近のカメアシ興行紀は業務報告紀となっていて、我ながら「飽きてきた」と思っているところ(いや寧ろ読んでくださっている皆様を退屈させて申し訳ないと思っています)。 果たしてこの妄断はカメアシ興行紀改新の契機となりうるかどうか……だから、やっぱり楽しみです。
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■2003年12月22日(月)
収支計算。
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この時期、何処の会社でもそうであるように、私の所属する課でも今日は忘年会がありました。 午前中は課会が開かれ、来期の予算案が検討されました。 放送業務の機材というのは見た目ではなかなか価格が判らない物で、光ケーブルが100mでいくらとか、デカカメ用の三脚の「フリクション(雲台)」だけで100万を超えてしまうとか、とにかくも溜息が出る価格の機材がいくつも購入候補として挙げられるわけです。(上述の機材は購入を決定したということを意味する訳ではありません)
課会の後は、明日の中継の機材の準備。 それと機材庫の一部整理や、機材状態の確認、小物の補充、ケーブルの補修などが行われました。
さて終業後は、会社の近くのお店て「忘年会」です。 旧知の間柄ならご存じの方もいらっしゃると思いますが、私は人を集めてパーティーをしたりするのが結構好きです。 その延長線で考えれば今回の忘年会も新人と言うこともあって「幹事」をするのが成り行きなのでしょうが、度々申しますように社会人になってからの私は萎縮傾向にあり、今回も幹事として若手の先輩と共に私の名前も記載されていたのですが、殆どその先輩に手はずを任せっきりになってしまいました。 新年会があるならば今度は私が色々と手配しないといけないと反省しています。
忘年会そのものは3時間ほど楽しく飲むことが出来たと思います。 先輩方の酒の注文を取りながらも(後半は疎かになってしまいましたが…)、日頃は話す機会の少ない方や、シフターさんなどと「ぶっちゃけた」話などもさせて貰いました。つまりはカメアシ興行紀で打ち明けている悩みの一端を話させて貰ったということです。 今の自分が成長できていなくて、また当然焦燥を感じているということ、自分に気に食わない叱られ方、今の仕事があっているかどうか……などなど。 こういった酒の席でしか話せない本心を吐露させて貰ったと思います。
忘年会後は、私は二次会に参加。 若手中心に集まって近くのおでん屋に入って一時間ほど飲み食いしました。 こちらの方では皆の笑い話や馬鹿話、エッチな話など(笑)いろいろと笑わせていただきました。 こういった酒の席で色々とキツイながらもアドバイスをいただけることは大変に幸せなことだと思います。 なかなか結実しないのが苦しくて情けないところですが、今後の目標、指標、留意点としてしっかりと心に刻みたいと思います。
そうそう。そういえば沖縄出張中にボーナスが支給されていました。 現在はまだ組合と会社が冬期賞与の交渉中なので仮支給となっていますが、金額は“まずまず”です。 控除が結構大きくて、手取りは何故か残業が多い月の手取り額よりもちょっと下回っているのですが…まぁ残業無しで考えて2ヶ月分のお給与だと思えば、頂けるだけで有り難いものです。 さて、これで何を買いましょうか。
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■2003年12月23日(火)
桃太郎さん桃太郎さん お腰に付けた○○○。 一つ私にくださいな♪(懇願)
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お誕生日おめでとうございます。 さて、そんな祝日に関係なく、今日は岡山県の某スタジアムでサッカー天皇杯の中継のお仕事。
早朝、新幹線に乗って一路 岡山県へ。 現場に到着すると既に中継車と機材車は到着しておりましたので、ひとまずスタジアム内でのカメラポジションなどを確認しに回ります。 スタジアムを見て皆が最初に口にしたのは「素晴らしい。競技場はこうじゃないと」という台詞(笑) どういう事かと言いますと、このスタジアムはピッチレベル(高さ)とスタジアム周辺の地面のレベルが同じでエントランスも同じレベルでしたから、台車などが段差に妨げれらることなくスムーズに通れると言うことです。 これは重い機材を運ぶ我々にとっては重要。実際、ピッチ上のデカカメはスタジアムの“外”でドリー付き三脚に組み立てて、その状態でスタジアム内に転がしていくことが出来たほどです。 また、施設内には報道用テレビ端子盤も設えてあり、中継車と出先のカメラまでをケーブルで繋がなくても、中継車側端子盤を通じてカメラ側端子盤から短いケーブルでカメラに繋いでやるだけでOKになるというお手軽さです。 これだけ至れり尽くせりなのも、このスタジアムが今年出来たばかりという新築物件であるからで、サッカーの試合が行われるのも初めてということでした。 今日の私はカメアシ兼放送席カメラマン。 久方ぶりのカメラ業務です。 他のカメラの機材を運んだ後、自分は放送席周りのセッティングへ移動。 カメラや照明、放送席用のモニターなどを放送席まで運んで、据え付けます。 先輩カメラマンに画のサイズや注意点をアドバイス頂き、カメラのレベルや向きを調整します。 オンエアは午後から衛星放送で生中継。 本番30分前にリハが行われ、そこで試合以外の部分の番組の流れの確認が行われました。 そして定時に本番。
私の放送席カメラはハーフタイム中に一度だけオンエアに乗ります。 今まで何度か放送席カメラをさせて貰いましたが、基本的にはフィックスで、一切動かすことがなかったのですが、今回は「ワーク」にチャレンジ。 ちょっとでも自分をアピールしなければなりません。 とか書くと格好いいですが、実情としては基本2ショットから1ショットにズームインするだけのこと。 それでも、緊張していまいます。 放送席の実況者・解説者の2人の会話を聞きながらタイミングを計って解説者の方に寄っていきます。 結果としては、気持ち寄りすぎた…という感じ。 予定では、暫くしてVTRが流れるという形でしたので、VTRにいく直前に再び2ショットに戻そうと思っていたのですが、タイミングが掴めず、自分が解説者に寄っているときはそれほど解説者が喋らず、再び2ショットにしたときから解説者が良くコメントするようになって……となかなか頭で描いたようにはいかないものです。 VTRが流れたあとも少しだけ放送席の方に帰ってきたのですが、今度はちょっとルーズ気味。 もう少し詰めておいた方が雑然さが払拭できたのではなかったかと思います。
後半戦が終わりオンエアが終了すれば直ちに撤収開始。 放送席を中心に機材をバラし、ケーブルを巻いて機材車まで持っていきます。 18時前後には現場を発てる状態になり、新幹線にて帰路につきました。
なお、吉備団子は買っておりませんので、悪しからず。
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■2003年12月24日(水)
せいや! 声だけですが。
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本日のお仕事は、先日の沖縄ゴルフ中継の機材の降ろしと、昨日のサッカー中継の機材降ろし。 沖縄の機材は海路で2日かけて戻ってきたということで、ドライバーさんにおかれましては大変にお疲れ様でした。 2つの仕事の機材降ろしが重なってしまい、厄介だなぁと思っていましたが、実際の作業は直ぐに終わってしまい、お昼前には昼食をとりに出かけられる状態でした。
午後からは機材整備やら掃除やら。 VEさんやVTRさんらは中継車の大掃除をしておられたようです。 カメラマンも一部、同軸ケーブルの分別や整理を行い、年越しに向けて徐々に機材庫の中が綺麗になってきました。 私も先日から幾つか申しつけられていた仕事がありましたので、まずはそれらを片づけていきます。 取り替えていたハンディーカメラのレンズを元の組み合わせに戻したり、欠損していた部品を補ったり、機材の破損を報告したり……とまぁ此処までは良かったのですが、最後に最大の難関が待ちかまえていました。 それはトライアキシャルケーブルの補修。 そうです、カメラとCCUを繋ぐアンビリカルケーブルたるトライケーブルのコネクタ部周辺を修理するよう仰せつかったのです。 いままでトライケーブルの修理は先輩のカメラマンやVEさんがされているところを2度見たのみ。 トライケーブルは3芯構造で出来ており、コネクター部はパーツが多く一見すると大変に複雑な作りになっています。 旧来ならVEさんがこの様な仕事は一手に引き受けておられたのでしょうが、最近はカメラマンも皆修理が出来るようになっており、私も「トライの修理」が出来る必要があります。 夕刻、VEさんにお願いして、トライケーブルの補修の仕方を教えて頂くことにしました。 実際にやってみると、コネクタ部の構造は大して複雑ではなく、パーツが多いため“ややこしい”というだけの話。 コネクタ分解時に分解順にパーツを机の上に並べて置いて、後は組み立て時に順番に差し込んでいけば一丁上がりです。 まずは不良箇所のあるコネクタ近くのケーブル部を切断して破棄。 そのあと今付いているコネクタを分解し、残ったケーブルにパーツを差し込んで、被膜を裂いて、網状のシールド部を剥き出しにしてそれを解して適当な長さに切って、折り返して必要な長さ分だけ残して切断して、またパーツを被せて、スパナで締めて、内部の被膜を裂いて、中の網状のシールドを露出させ、解し、折り返し、切り揃え、再びコネクタパーツを被せ、締め、さらに芯線の被膜を取り除き、必要な長さを残して芯線に金具を被せハンダ付けして、さらに幾つかパーツを取り付け、最後にコネクタ金属部を覆うブーツ(ゴム製のカバー)を被せて終わり。 実は今日はこれで時間がなくなってしまったので導通チェックが出来ていません。 次回の出勤時にCCUとカメラを繋いで問題なく動作するか確認します。 難しそうに見えたトライケーブルの修繕もこれで自力で出来そうです。 今日治したケーブルが無事に使えることを祈るばかりです。
なお、今日はこのトライケーブルの修理で予定していた退社時間を30分ほどオーバー。 イブなのに遅刻確定の電車内でこれを書いておりました。(汗)
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■2003年12月27日(土)
熱だ、火事だ、眠いんだ〜。
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2連休を消化し、今日は午後から出勤で明日のバレーボール中継の準備〜セッティング。 朝、早く起きて散髪なり洗濯なりをする予定が、結局12時ぐらいまで寝腐っていて……とどうも朝から(もう昼でしたが)体調が悪い。 連休に入るあたりからちょっと風邪気味だなぁ〜とは思っていたのですが、もしかするとちょっと熱があるかも知れません。 でも、何度あるか計るのが怖いので計りません(笑) 私は子供の頃から自分の発熱に鈍感で39℃の熱があっても気が付かずに外で飛び回っていたことがあります。 今日は若干の鈍い頭の痛みがありますので恐らくは微熱ぐらいだと思うのですが、それが案外38℃ぐらいかも知れないので、やっぱり計るのは辞めておきましょう。 明日出勤すれば明後日・明々後日とまた2連休ですから…。
バレーのセッティングは大阪府内の某体育館。 我々が現場に到着したときはまだ試合の最中でしたので、機材を車から降ろして外で待機です。 一時間半近く待ってからセッティング開始。 ケーブルを館内に引き、カメラを組んで素早くセッティングを終わらせます。 さて、ところでカメアシ…というか新人の仕事といのは色々ありますが、未だに掌握すべき範囲が判らないのが実情。 今日も次のような一幕が…。 今回の中継ではデカカメが3台出ているのですが、、それの三脚が正しく会場に持ち込まれていなかったのです。 三脚は主にレンズの種類によって使い分けられますが、70倍対応の三脚を2本と55倍対応の三脚が1本、会場に来ていなければならないのですが、来ていたのは70倍対応が1本に55倍対応が2本となっていました。 下見報告書にはちゃんと持ち込む三脚の種類が書かれているのですが、今回、三脚を車から降ろした人は誤って違う三脚を3本降ろしたようです。(誰が降ろされたかまでは把握してません…) もちろん、誤った3本では支障が出るわけでして、70倍対応の三脚を1本持ってきて余分な55倍対応の脚は車に戻さないといけないのですが、“どうしてか”私が叱られるわけです。 ただ、この“どうしてか”という部分に関しては私の認識の問題であって、一般的には私のような立場の人間がしっかりとその辺りの状況を把握しておく必要があるのかも知れません。 他の例で考えればそれは納得できます。 例えば「中継小物」。ゴルフ中継の準備の話を書く度に「中継小物を準備して…」といった事を書いていますが、時には先輩が準備をして下さるときがあります。 しかし以前、そういった“お任せ”の状態で現場に行って、そこで小物が不足して難儀した覚えがあります(当然叱られますし)ので、それ以来、他人が作った中継小物セットは車に積み込む前にコッソリと中身の分量などを自分で調べて、場合によってはコッソリと小物を追加したりしています。 そういう配慮を考えるならば、今回の三脚の件も私が把握しておいて然りなのです。 自分の認識の甘さ、配慮の行き届かなさを反省すれば、次回からはそういった点も合わせて確認しようと、心づもりできるものです。 カメラチェックが終われば、その後は技打ち。 明日の試合の流れと番組の流れを確認して、2〜3疑問点などを解消すれば本日は解散。 明日は現場集合となりました。
さて、ちょっと余談。 帰宅後。部屋に戻ると早々外が五月蠅くなってきました。 消防車や救急車、パトカーが列をなしてマンションの前の大通りに停車します。 どうも対象地は私の住んでいるマンションの斜め向かいのマンション。 とにかくも結構な消防車の数です。 直ぐさまVX2000を取り出してベランダより撮影開始。 その間にもどんどん消防車などがやって来ます。 「火事か??」とも思いましたが何処にも火の姿がなく、また煙たくもありません。 どういうことかな…と思っているうちにもマンションの住人が避難して玄関より建物を出て行きます。 「これは大ごとか?!」と思い、タイミングの良いところで部屋を出て、当該のマンションに向かうことにします。 カメラにライトを付けて、後々活動しやすいように放送局入館用のIDカードを首から提げて(おいおい)自分のマンションを出ます。 ……が、外に出ると既に消防車の何台かがUターンをして現場を去っていこうとしています。 「おや?」と思いつつも、現場のマンション玄関前まで行って、今丁度マンション内部から出てきた消防士に何があったのかを尋ねてみます。 どうも天ぷら油か何かが発火したようなのですが、大事には至らず恐らくは住人が対処したようで消防の消火活動などは不要に終わったようでした。 「大したことではありません」とコメントされていましたが、しかし現場に来た消防車の数は結構なものでありました。
今回は空回りに終わりましたが(もちろんそれが一番良いのですが)、以前にもこんな突撃報道をしたことがあったなぁ…と思い出します。 また最近ちょっと話題が盛り返していますが、滋賀県豊郷町の豊郷小学校校舎建て替え問題が熱かった頃に単身で取材に行ったことを思い出します。 あのときは行ったその日に丁度校舎解体の差し止めが国から出て、記者会見などが行われて騒然となりました。 私は結構、スクープ運が無い方で、直前までカメラを持っていたのに、置いてきた次の瞬間に何か撮るべき対象が生まれる…という事が多かったのですが、豊郷小学校の時は珍しく幸運であったと思います。
それにしても、急を要するときのビデオテープの煩わしさには悩まされますね。
| <(左)マンションから避難する人々/(右)豊郷小学校問題取材時の私> |
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■2003年12月28日(日)
閑話休題。
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バレーボール中継本番。 現地8時集合でスタートします。 今回のカメアシは私を含めて3人。 動くハンディーカメラは2台だけですので、そのケーブル捌きにローテーションを組みます。 そうすると一人あぶれるわけですが、毎試合の頭に放送席の顔出しがあり、その際に照明を点灯させる必要があるので、その要員として一名が放送席に回り、スタンドライトを立てて、点灯して、顔出しが終われば消灯して、スタンドライトのスタンドを下げて…その後はその試合中は休憩…という段取りです。 試合は準決勝と決勝戦併せて6試合。 3人で回すには丁度良い試合数です。 ハンディーのカメアシも、カメラが動くときは試合開始時の選手・監督紹介とテクニカルタイムアウトの時ぐらいですので、試合中は殆どカメラが動くことはありませんでした。 試合終了後は閉会式。 しかし、閉会式の収録は必要なく、会場内のビジョンモニター出しのみ必要だったようで、閉会式中に音響機材系の撤収が始まります(会場のPAは我々の担当ではありません) カメラ関係の機材・ケーブルのみを残して手の空いているスタッフで撤収です。 私はその時は丁度ハンディーカメラ就きでしたので、手の空いているときに台車の手配などをする程度で、申し訳ないながら音響系の撤収には加われませんでした。 結果的には殆どハンディーは動かなかったため、撤収の方へ回っても良かったのでは、と反省しています。 閉会式が終われば映像系の機材も撤収。 音声系が全て閉会式中に終わっていましたので、後はカメラをバラして映像系ブルなどを片づけるだけでしたので、あっという間に撤収完了。 会社へ帰って1930時過ぎには解散できました。
さて、仕事の話からちょっと離れますが、先日の話。 25日に帰郷したのですが、その際に彼女と小学校の教師をやっているN氏を呼んで家族で忘年会を行いました。加えて、弟がヨーロッパから帰ってきてついでに弟の彼女も一緒だったので予定外に賑わいに…。 この忘年会にN氏を招いたのは、忘年会の話題が出る直前に彼が「クラスの生徒の顔写真で年賀状を作りたい」と持ちかけて来ていて、「では私の帰郷の際に作るのを手伝ってあげましょう」という話になっていたため、それでは折角だからということで忘年会にも招待した次第だったのですが、とにかくも忘年会後にN氏の年賀状作りを手伝います。 Photoshopで作ることを前提にしていましたので、彼のノートPCからデータを私のノートPCへ移す必要がありました。 が、ここで問題が起こります。 データを移す方法が無いのです。いえ…正確にはデータを外へ出すことは出来たのですが私のPCがそれを受け取ることが出来ません。 彼のリムーバブルストレージメディアは……そう『フロッピーディスク』 参ったことに私のノートPCにはFDDは搭載されておりません。 また彼のノートにはCD-Rドライブなども搭載されていませんでしたので、リムーバブルメディアによって私のノートへ直接移すことが出来ないのです。 それではLAN経由で…と思いましたがクロスケーブルがありません。しかも我が家には私が家を出た後はHUBやルータといった気の利いた物がありませんので、やはりローカルネットワーク経由では無理です。 何とかしてデータを移さないと作業が始まりません……参った…。 そこでデータを意地でも移す方法を模索します。 今、我が家にあるPCは以下の通り。 ・彼のノートPC“A”<FDD搭載・CD-R無し> ・私のノートPC“B”<FDD無し・DVD-R/RAM搭載・SD/MS/CF対応> ・弟のノートPC“C”<FDD無し・CD-R搭載・MS対応> ・家のデスクトップ <FDD搭載・CD-R無し> 以上です。 そのうち弟のノートPC“C”とデスクトップは排他的にインターネット接続可能です。 そこで、以上の組み合わせをフルに活用してデータの移動を敢行します。
まずはノート“A”から必要なデータをFDに移してデスクトップへ持ち込みます。 デスクトップでインターネットに繋いで私のFTPサーバに一旦アップロードし、その後ノートPC“C”へインターネット接続を切り替えて、サーバよりダウンロード。 そして、ノートPC“C”からメモリースティック経由で私のノートPC“B”へデータを移しました。 つまり、 ノート“A”→フロッピーディスク→デスクトップ→FTPサーバ→ノート“C”→メモリスティック→ノート“B” という流れ。 フロッピーのデータをを移すためだけに結構な手間です。 年賀状の方は2730時頃に出来上がり後はプリントアウト。 朝目を覚ますと無事に終わっておりました。 彼も出来上がった年賀状を手に喜んで帰っていきました(その日は出勤だったそうで、教師というのもなかなか大変ですね)
さぁさぁ、この事態に懲りた私は対策を練ります。 以前からのモバイル補完計画と併せて物品購入へ踏み切ることにしました。 まずはUSBリンクケーブル。彼のマシンにもUSBポートがありましたから、USB経由でデータの交換が出来ていればこれほど楽な事は無かったはずです。巻き取り式のリンクケーブルを購入しました。 さらに、IEEE1394モバイルケーブル。日頃、ノートPCの鞄にはIEEE1394ケーブルを入れているのですが1.5m長の太いケーブルで嵩張っていたのでコンパクトなケーブル収納型のケーブルを購入。買ったのは4pin-4pinタイプでしたので、ついでに4pin-6pin変換アダプタも購入。 LANケーブルも細径の3mケーブルを購入。これは友人宅や彼女の家に遊びに行ったときにHUBやルータと繋ぐ用。ですからストレートケーブルなわけですが…クロス変換アダプタを購入すべきかどうか迷うところです(USBリンクケーブルがありますし…) 後はUSB2.0用HUBと3.5吋HDD用外付けケース(USB2.0)。 HUBは何かと必要になりますし、HDDケースは内蔵60GBのノートPCを日常マシンとして使うにはいい加減しんどくなってきたので外部HDD追加用に購入。余っているHDDを引っ張り出してきて組み込んで使うことにしました。 本当は2.5吋対応のケースが良いのですが、そうすると2.5吋HDDを別途購入する必要があり、最低でも60GB欲しいため出費が嵩みます。 というわけで、据え置きと割り切って3.5吋としました。 あと、USBリンクケーブルを利用するには双方のPCにドライバが入ってないといけません。そこでドライバを持ち歩くためにカード型CD-Rを購入してドライバデータをコピーし持ち歩きやすいようにしました。 とりあえずはそんなところ。 鞄が重くなるのは一向に構わないのですが、分厚くなるのは見苦しいのでコンパクトさに拘っております。 なお、「素直にUSB接続タイプのFDDを買えや」とか無粋なことは言わないでください(笑)
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■2003年12月31日(水)
年越しは出張中で。
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大晦日。 そんなこととは関係なく、本日もお仕事。 現在、東京は赤坂のホテルにて宿泊中です。 大晦日の恒例番組といえば色々と思い浮かべますが、私が今日就いた仕事は某音楽番組。 この番組に出場したアーティストがその後の紅白歌合戦会場へと急いで流れていきます。 今日は朝の0630時に新大阪駅を新幹線で出発し、0930時に局舎前のライブ会場へと到着します。 現場に着いてみるとセッティングは東京チームのお陰で殆ど終わっており、私たちはカメラチェックなどを行うのみ。 某音楽番組中のライブ中継が今日の仕事で、セッティングが終われば朝からリハーサル開始です。 アーティスト不在の中、制作の人間が舞台に立ちアーティスト本人の立ち位置や格好で歌って、カメラなどはポジションを調整していきます。 そんな事を何度も繰り返して夕方にアーティストご本人が到着。 大まかな段取りがディレクターから説明され、またリハーサルを行い、そして本番を待ちます。 1800時から番組が始まり、我々の担当中継は1900時過ぎ。 番組が始まってからも裏で2回ほどリハーサルを行い、万全の体制で臨みます。 私はステディカムのケーブル捌き。 ステディカムカメラマンともう一人のアシスタントさんがケーブルに躓かないように後方支援です。 そして、本番。 本当にあっという間です。 朝から何度もリハを繰り返し、長い時間を待機したわけですが、そのアーティストの曲一曲が終われば、我々のライブ中継終了。 スタジオや他の中継は引き続きオンエアされていますが、我々は撤収準備です。 撤収は番組が終わるまでに終了。 ゆっくりとした年越しが送れそうな時間に現場を引き上げることが出来ました。 本当ならそのまま新幹線で大阪に帰れないことはない時間だったのですが、ゆっくりと過ごすために予定通りホテル泊です。 夕飯は、当サイトでもお世話になっているzapさんに連絡を取って、一緒に渋谷の街で夕食ご馳走して頂きました。 今はホテルでNHKの“行く年来る年”を観ております。 明日は午前中に東京を発ち、その足で大阪の会社に戻って、明後日の生中継番組の機材の準備です。 大晦日、元旦、2日とお仕事は続きます。
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