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〜カメアシ興行紀〜

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■2003年11月01日(土)  ビューティー作りは難しい…。
 今日も朝からF.Tカメラ。
 毎日毎日仕事が終わってから色々な先輩が私の画やカメラワークについて様々なアドバイスをしてくださいますので、それを毎日毎日ちょっとずつ実践し、習得していけるよう目指します。
 さてさて、本日遂に私たちが担当しているホールインワンホールに「ホールインワン」が出ました。
 予選初日より三日目にして漸く一本のホールインワン。
 当然、そのホールインワンが出るときにも私はカメラに就いていましたから、ホールインワンを取った選手のTeeでの動きや表情、フォームなどを撮っていました。
 そして、ホールインワンが決まったことが判れば、当然Teeグラウンド上の選手は大喜び。
 カメラマン的には絶対に撮りこぼしの出来ないシーンです。
 画のサイズやフォーカスに全神経を集中させて、Teeグラウンド上を動き回って喜びを表現する選手をフォローします。
 実は初日にカメラをやっていたときにSWから、「選手が打った後、Greenでギャラリーが歓声や拍手をしたら選手が手を挙げたりして喜ぶのが想像付かんか?」と怒られてしまったことがありましたので、それ以降、Greenで大きな拍手が聞こえれば、タイト目の画からちょっとルーズなバストショットに引いて、選手のリアクションを受け入れる体制を作っていました。
 今回はインカム越しに「入る、入る、入るぞ、入った!!」とSWさんの声が聞こえて居ましたし、リターンの画もこまめに確認していましたので、やや引き目の画を作って待ちかまえていました。
 そして、ホールインワン。大喝采。
 両手を挙げて選手が喜びます。
 待っていた画より更にギュッと引いて選手の喜びをフォローします。
 
 この画は当然オンエアの冒頭でも使用されていました。
 ちなみに、冗談でいつも言われているのかなぁ〜と思っていたことがあったのですが、ホールインワンが決まれば、その時にそのホールのSWやカメラ、音声、VEを担当していたスタッフにボーナスが出るというのです。
 昨日もそんな話がインカム越しにやりとりされていましたが、ついに今日、ホールインワンが出てしまった訳で……さてさて、ボーナスはどうなるのかと密かに関心を寄せていたのですが、本当にボーナスが(笑)
 プロデューサが出してくださいました(笑)
 自分たちがホールインワンを出したわけでもないのに、おかしな慣習だなぁと思いつつも、そういった遊び心が現場にあるのも楽しいものと思います。

 さて、ホールインワンホールの仕事は全パーティーが通過するまで続きます。
 今日は注目選手も絞られてきており、またスコアを伸ばしている選手が居たりするために各ホールとも早い時間からスタンバイに入ります。
 いつもなら昼食時にまだスタンバイに入る必要のない他のホールのカメラマンがカメラの交代に来てくださるのですが、今日は他のホールのカメラマンも自分たちの仕事が迫っていますので、交代要員が出せません。
 さらにタイミングの悪いことに今日は弁当が届く時間がいつもより若干遅く、それが余計に交代の時間的余裕を奪ってしまいました。
 そのため、私が中継車周りのテントに戻って昼食を摂る時間がありませんでした。
 SWさんが“カメアシが付いているカメラマン”にインカムで「F.Tにカメアシさんに弁当を持って行かせてくれ」と仰ってくださったお陰で、無事に昼食を摂ることは適いましたが、ただ、Teeグラウンドコースロープ内で、カメラの横に座りながら、周りを多くのギャラリーに囲まれた環境で、選手の居ない合間を縫って弁当を食べる…というシチュエーションだったわけですが…。

 というわけで、今日は本当に朝からずっと交代無しで、ずっと最後までカメラを振り続けました。
 
 全選手がプレーを終えれば仕事終了。
 中継車テントに戻って帰り支度を始めますが、するとリターンなどで私の画を見ておられた周りの先輩が「ちゃんとカメラやってるやん」と仰ってくださったり、今日もまたアドバイスを下さったりと、嬉しいリアクションを返してくださいました。
 
 そして、またホールインワン組は7名で旅館へ戻ります。
 旅館へ帰ると丁度今さっきまで収録してたゴルフ中継がオンエア開始。
 各自、部屋に戻って今日の仕事の結果を確認します。
 私も自分が担当した映像を目を皿にしてテレビ画面に見入ります。
 ホールインワンが決まったときの映像、最終組の優勝候補選手のTeeでのアクションがちゃんとオンエアされていました。

 さらに嬉しかったのは私が撮った「ビューティー」がオンエアで使われていたこと。
 ビューティーとは度々説明しているように、トーナメントのスコアなどのスーパーを乗せる下地となる映像のこと。
 今の時期であれば紅葉やススキなどを画面に入れる画が多いです。
 ビューティー撮りは仕事の終わったホールのカメラマン達が、自分で良い被写体を見つけて画を作ります。
 もちろんカメラは1ホールだけでも何台もありますので、まずは良い画を作って、ホール担当のSWさんに「買って」もらう必要があります。
 さらに各ホールで選択された映像を、今度は放送センターで選択してもらう必要があり、実際にオンエアで使ってもらえるビューティーは全カメラ台数に対して数十分の一です。
 またセンターが買っていてくれても実際にオンエアで使ってもらえるのは時間の関係から更に絞られます。
 今日私が作ったビューティーはなんとかホールSWさんに買ってもらえ、さらにセンターにも売れましたが、それがオンエアで使ってもらえるかは、実際にオンエアを見るしかありません。
 そんな条件の厳しい中でオンエアを確認すると本日のプレー結果のスーパーの下地ビューティーとして数秒間使われていました。
 画としては、手前に赤い実をつけた木をフォーカスして、奥にグリーンと旗、さらにその奥には池と、そこに設えられた大会のロゴ看板が入った奥行きのある被写界深度の浅い画で、比較的好評でした。
 その画を作ったときもベテランのカメラマンから「お? この画、誰が撮ってるの?」とSWさんに尋ねてもらえたぐらいでしたから、まずまずの出来であったようです。
 尤も、その後色々とダメ出しも頂けましたので、本当に毎日勉強になります。

 明日も、今日と同じ時間から全国ネットでのオンエア。
 今日も色々と失敗してしまいましたので、明日はそれを克服して、より見良い映像をお届けしたいと思います。

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■2003年11月02日(日)  寝ます!
 ぜぃぜぃ……(疲
 終わりました……。
 なぜだかいつもより長く感じたゴルフ中継の週でした。

 今日も朝からホールインワンホールF.Tカメラ。
 最終日ということで選手も減りましたが、それでも20組以上。
 全プレーを収録します。
 今日は残念ながらホールインワンはありませんでしたが、注目選手や最終組をオンエア収録するために、それ以外の選手達のプレーを利用して密かにリハーサルをします。
 ディレクターさんとSWさんが中継車内で色々とカット割りを考えられて、各カメラマンに指示を出します。
 我々カメラマンはその意図を理解してタリーが来れば必要なカメラワークを行うのですが、私にはまだまだ判らない意図も多く、おかしな動きをして怒られたりもします。

 そして今日もゆっくりと昼食を摂ることも出来ず、またカメラの横でお弁当を食べます。
 今日はカメアシさんではなく、若手のカメラマンがわざわざ中継車横のテントから遠く離れたF.Tまで持ってきてくださいました。
 このカメラマンは、日頃はENGカメラマンなのですが、元々は中継にいらっしゃったので時々中継のカメラマンもなさっておられます。
 今回のゴルフでは、色々とカメラオペレートのアドバイスをしてくださり、大変に勉強になりました。
 実際、この四日間はその先輩のアドバイスを未熟な私の腕を補うべくフルに活用させてもらいました。

 さて、いよいよイントロ収録が始まりオンエア体制本番です。
 だんだんとインカム越しの指示やPGMが慌ただしくなり、出先の私にも緊張感がみなぎります。
 単調・ワンパターンな画にならないように…且つ状況を見せる画作りを心がけて……最終組が私の担当ホールに到着します。
 実は昨日の最終組では一つ大きな失敗をしています。
 プレーヤーの一人が、前の選手のプレーを見て、自分の使うクラブを換えたのですが、その際私はゴルフバッグから引き抜いたばかりの選手の手の中にあるクラブに寄っていってしまったのです。
 確かにクラブを換えましたよ…という事を伝えようとしたのですが、手に取られたクラブは直ぐにグリップを握る体制に遷移されてしまいますので、当然180°回転したクラブのヘッドをカメラで追うことが出来ません……。
 結果…何を撮っているのか判らない汚い画になってしまい、またその際に混乱してしまった私は、実況・解説者が交換されたアイアンの説明をしているにも拘わらず、アイアンのヘッドをその後見せることなく、選手に打たせてしまったわけです…。
 是はその日の旅館でオンエアを見ているときも、また今日も色んな人から注意されてしまいました。
 ですから、タイミングを計って、選手の動きと見せ方に無理のない画作りを心がけました。
 
 結果は、上々(自己評価)
 大きな失敗もなく…といって何か特段に上手くいったところがあるわけでもありませんでしたが、最終日でなんとか最低ラインをクリアできたのではないでしょうか?
 
 大会表彰式も無事終わり、収録も終了。
 後は撤収して帰阪するのみです。

 帰宅後、HDDに撮り溜めておいた今回のゴルフ中継オンエアをDVDにコピー。
 そして、自分のカメラワークをチェックします。
 やはり、前日よりは翌日の方が若干、画的にマシになっているのが判ります。
 反省点としては、ボロいレンズ(例のENGカメラマン談)の所為と私の腕の故にスローズームが、どうも引っかかりがちな画が多いのが目に付きました。
 確かに最終組時は緊張しており、普段より手がこわばっているのが判っていましたが、これほどテレビで目立つと視聴者には申し訳ない限りです。
 今後、その点にも十分注意してカメラを振っていきます。

 明日はお休み。
 ……っていうか、明日だけお休みです。うれしいな〜。

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■2003年11月04日(火)  導通。
 休日! 瞬きしている間に終わってしまいましたが、それでもゆっくりと体を休めることが出来ました。

 本日のお仕事はまたまた今週のゴルフ中継の準備。
 今日は主にケーブル類の積み込み。カメラなどの「機材」は明日以降の便で現地入りします。

 さて、今日はそのお仕事に入る前に色々とせねばならないことがあり、少々時間を食いました。
 ケーブルの積み込みは午後からやる、ということでしたが、出勤は定時の10時。
 午前中は、週末に頼まれていた不良ケーブルのチェックや中継用小物の先行準備を済ませてしまおうと思っていたのですが、会社のデスクに顔を出した早々に仕事が与えられてしまいました。
 どうも、先日のゴルフ中継の際に使用していたカメラの光学系に異常が見つかったようなのです。
 使っていたカメラマンは気が付かず、VEさんがカラーモニタ上で発見したそうなのですが、そういう原因がよく分からない不具合などは一度他のカメラマンなどが立ち会って、機材に火を入れて現象が再現するかを確認します。
 今回問題が出たのは SONY BVP-90 というハンディカメラ。BVP-90……古いなぁ〜と思われる方も多いかと思いますが、まだうちの会社には数台が生きています。

 殆どの中継では優先的にSDの場合 BVP-750/950 が使われますが、台数が足りない時などは BVP-90 も頻繁に利用します。
 さて、その90の中の一台の症状ですが、白い紙を撮っても、画面の下の方に色が付いた画になってしまうそうなのです。
 私が頼まれたのは、機材庫からデスクに問題のBVP-90とこのカメラを動かすのに必要な機材一式を運んでカメラに火を入れること。
 中継仕様のハンディーカメラですのでバッテリーを取り付けたりはデフォルトでは出来ません。
 CCU(カメラコントロールユニット)を引っ張り出してきてそこから電源供給をしてやる必要があります。
 ということで、運んだ機材はBVP-90と対応するCCU、トライケーブル50mに電源用延長コード。
 CCUは通常中継車に乗せて運用していますが、家庭用電源を利用して動かすことも勿論出来ます。
 CCUとカメラをトライケーブルで繋ぎ、CCUのメイン電源を入れ、そしてカメラコントロールのスイッチも入れます。次にカメラ本体のスイッチ(2カ所)をONにして準備完了。
 あとは、先輩カメラマンがファインダーを覗いて確かめられます。
 しかし、モノクロビューファーでは確認できません。カラーモニタでははっきりと出ていることは間違いないそうなので、今度はレンズを取り外して原因を探します。そのためにまず、カメラとCCUの電源を落とします。
 そしてレンズを取り外して、チェック。
 すると本体側光学ブロック全面に取り付けられているガラスパネル(おそらくUV加工されている)に汚れのような物が付いています。
 レンズペーパで擦っても落ちず、表側ではなく裏側での物であると判断され、「俺らが分解しても良い物だろうか…」と悩みながらも、精密ドライバーで問題のガラスパーツを外します。
 そして、裏から擦ってみると……汚れが消えません。そうです、汚れではなく傷だったのです。
 さぁ、これは難儀なことになりました。
 まず問題の BVP-90 は近々仕事を控えています。ですから機材的に頭数から外すわけにはいきません。
 さらに、BVP-90は現在製造されていないので問題箇所のパーツが直ぐに手にはいるか判りません。

 そこで引っ張り出されてきたのが、「昔に壊れた BVP-90」。
 「やっぱり残しておくもんやね」とそのカメラを残しておいたVEさんは言いながら、壊れている BVP-90 から問題のパーツを拝借します。
 そして、現役90と交換。
 無事に難局を乗り切ることが出来ました。
 取り付けが終わり、問題が解決すればカメラやCCUを撤収します。
 そして、漸く予定外の仕事から解放され、今日本来やるべきだった志と後に手をつけましたが……またまた予想外の手間が機材庫周辺を覆っていました。
 昨日…つまり11月3日といえば、大阪御堂筋は熱く燃えておりました。
 そうです。某球団の御堂筋パレード。
 雨の中、大変な観衆だったそうで、とりわけ関西ローカルの夕方のニュースを賑わせいましたが、当然うちからも中継が出ていたわけです。
 しかし、問題はその雨。
 機材を防水するために大量のビニールシートを使ったようなのですが、そのビニールシートが機材庫前の駐車場に所狭しと干されています。
 昨日は休暇だった私な訳で、この様な事態は与り知らぬ事ですが、考えてみれば当然の結果です。
 さて、何故にビニールシートが干されていると問題なのかといえば…私がこれから積み込みたい「中継小物」の中心的存在がこのビニールシートであるからです。
 大量の…もうそれは大量のビニールシートでして、明らかに今此処に干されているこれらのビニールシートを回収しないと明日からの仕事に持って行くには量が足りません。
 幸いにも天気が良く、乾くのが早かったのが救いですが、干しては乾くのを待ち、畳んではまた濡れているビニールシートを干して…の繰り返し。
 そうこうしているうちに、昼になってしまい結局午前中に中継小物一式をそろえてしまう…という当初の予定は果たせずじまい…。
 
 昼飯を機材庫の近くのカレー屋で摂って、午後からはケーブルの積み込み開始。
 本数は大変に多かったのですが、最近慣れてきた所為か、あまり大変な仕事量には思えませんでした。
 ケーブルを積めば後は「お茶セット」の積み込み(笑)
 ペットボトル、カップ麺、ガスコンロ、ガスタンク、やかん、鍋、ポリタンク、電気ポット、コーヒーセット一式……お茶セット積み込み完了です。

 ということでこれでシフト上の仕事は終わりました。
 後は雑用へと戻ります。
 まずは先週末に頼まれていたケーブルのチェックを行います。100mのトライケーブルに不良が見つかったらしく、廃棄前提となっていましたが念のためチェックしておいてくれと言われていたので、テスターを出してきてトライケーブルの導通チェックを行います。
どうもコネクタから20cmぐらいのところで断線があるらしく、ケーブルをコネコネすると信号が途切れます。
 ケーブル自体も古い物ですので、本当なら頭から数十センチ切り落としてそこに新たにコネクターを取り付けたいところですが、廃棄となりました。
 
 ケーブル廃棄が終われば、後は再びひたすらビニールシート日干し。
 ケーブル積み込みよりも、それ以外の仕事に追われる一日でした。

↓問題のBVP-90のパーツ。レンズ取り付け部とND/CCフィルターブロック境界にあるガラス部分に傷が。
031104.jpg 550×413 32K

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■2003年11月05日(水)  ごるふごるふごるふごるふごるごごるふごるふごるふ。
 なんだか最近同じような文章を繰り返し書いているような気がしますが、…えっと、今日からゴルフ場現場でのセッティング作業です。
 今日は布線日。
 担当する全4ホール分の布線を2チームに分かれて行いました。
 今日は雨が降るのではないか、と作業中の天候が心配されましたが幸いにして天気は持ち堪え、日中は寧ろ暑いぐらい。
 
 今回のゴルフ場は滋賀県。私の出身地なわけですが、「あ、ここはゴルフ場だったのか…」と学生時代に車で時々走っていて関心の無かった、道路沿いの緑の一帯が今回の仕事場です。
 布線作業はいつも通りの手順。
 私も流石にだんだんと段取りが良くなってきまして、徐々に先読みで仕事が出来るようになってきました。……もちろんまだまだもたつくところはあるのですが…。
 今日は一日で幹線の光ケーブルとホール出先の全カメラケーブルを敷設終了。
 いつもよりも早く作業が終わったようです。

 帰社後はハンディーカメラやデカカメ用レンズの積み込み。
 明日は中継車を現場に入れ、カメラをくみ上げて、回線チェックとカメラチェックを行う予定です。

 う〜ん、流石にネタが切れてきましたね…。

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■2003年11月07日(金)  ビューティーを探せ!
 昨日は更新できませんでした。申し訳ありません。
 さて、いよいよゴルフ中継が始まりました。
 今回の私の担当は、「B.T」。そう、バックティーカメラです。
 バックティーカメラの仕事は、F.Tカメラと違い、選手のリアクションを見せるよりは、ティーで打った球の弾道を見せるのが仕事です。
 通常、B.Tカメラというのは球フォローをすることが多いのですが、今回の私が就いたB.Tば球フォロー無し。
 私が就くぐらいですから、当然と言えば当然です。
 また、ホールインワンホールなどの特別賞ホールでもありませんので、今回の私の仕事がオンエアに乗るかは怪しいところです。
 B.Tの基本的な画は、選手とティーグラウンドは比較的画面の下に抑えて、空を多く入れ、ティーショットの結果、飛球の方向をフィックスで見せます。
 そして、そこに2ndカメラが球フォーをして、第1打目を見せる…という感じです。
 幸いにして、日中は順光のホールですので、青空に白いボールが良く映えます。 
 おそらく、「球フォローをしろ」と言われれば比較的簡単に出来るホールであると思います。
 しかし、残念ながら今回のカメラに付けているレンズは20倍ですので、大して寄ることが出来ません。
 今回のゴルフでは球フォローをすることは無いと思います。


 ところで、今回の現場…ゴルフ場は私が通っていた大学に大変に近く、また宿泊ているホテルも駅前でして、一駅乗れば大学にいけるような場所です。
 今日は、仕事が早く終わりましたので、時間もあり大学の後輩の顔を見に大学にへ行きました。
 明日から学園祭というタイミングで、後輩である放送局の連中は忙しそう…。
 なかなか構ってもらえません(笑)
 今回の企画やセッティングの情報を聞きながら時間を潰し、晩飯は、同じく大学の後輩で日頃色々とお世話になっている、『リーリャ・リトヴァク』の管理人;坂本綾人氏とイタリアンをご一緒させて頂きました。
 直接会うのは久々でしたので、1830時から2300時までと長時間おつきあい願った訳ですが、大変に楽しかったです。
 ありがとうござました。

 坂本綾人氏と分かれてからは、ホテル近くにも戻って、会社の先輩方の呑みに合流。
 初めはイヤイヤながら顔を出したのですが、みなさん仄かに出来上がっており、私も少々アルコールが入っていましたので、比較的楽しい雰囲気で呑めました。

 明日はホテルを0830時出発予定。
 ゆっくりした日になりそうです。

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■2003年11月08日(土)  眠め。
 今日からオンエア。生放送でした。
 いつもよりもちょっと遅めの0830時にホテルを出発。
 現場に着けばハンディーカメラを出して、三脚を抱えて自分のポジションであるB.Tへ。
 私が就いているB.Tは中継車テントから一番遠いところにあるため、カメラを出先のケーブルに繋ぐのにも一仕事。
 ただ、今回のゴルフ中継に就いてくださっている学生バイトのカメアシさんがこまめに動いてくださいますので、なんだかんだと楽をさせてもらっています。

 カメラチェックが終われば、私は昼食までカメラの練習。
 B.Tで撮れる画というのは限られているような感覚が私にはありますので、それを打破するために色々なパターンの画が作れないかと試してみました。
 昼食を摂って、1200時に一斉スタンバイ。
 2時間後のオンエアに向けて各ホールの練習や事前収録が始まりました。
 本番までの2時間は大変に長く、また選手もチラホラとしかやって来ませんでしたので退屈であったのですが、本番が始まってしまえばあっという間。
 最終組も直ぐに通過してしまい、あとはひたすらオンエア終了時刻までビューティーを作ってセンターに買ってもらえるのを待ちます。
 昨日も同様にビューティーを作って待っていたのですが、昨日の収録は雨予備収録でしたので、特段にセンターもビューティーを必要としていなかったようで買ってもらうことは出来ませんでしたが、今日は最後の方のリーディングスーパーが出ている際の画として使ってもらうことが出来ました。
 買ってもらうことが出来れば、またカメラを動かして他の画を探します。
 今日初めに作ったビューティーは昨日のそれとは違い、また昨日はその画を使ってもらっていませんので、次の画は昨日作ったそれと同じ物を作りました。
 しかし結局、今日もそれ以降のビューティーを必要とするシーンはなく、売れることなくオンエア終了。
 明日最終日に繰り越されることとなりました。

 明日は、雨だと聞いています。
 雨の中での撤収。
 考えるだけで疲労します。

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■2003年11月09日(日)  終わったぁぁぁ〜。
 ゴルフ最終日の今日は週間天気予報の予想通り、雨。
 といっても、多少雨粒がちらつく程度で鬱陶しいほどの物ではありませんでした。
 いつも通り現場に着いたら、ハンディーカメラと三脚を各カメラポジションに持っていってカメラチェック。
 雨ですので、ケーブルのコネクタやカメラ本体を濡らさないように気を配ります。
 
 ゴルフトーナメントでは、大会期間中のティーマークが徐々にグリーンに向かってフェアウエー方向へ動かされていきます。つまり、毎日同じ場所からプレーヤは打つわけではないのですが、そうなると当然ティーカメラの位置もそれに併せて毎日ポジションが変わります。
 特にF.Tカメラの場合はティーマークの位置変化の影響を大きく受け、ティーマークの位置によってはカメラを引ききった時でも全体が入らない場合があります。
 そのため、毎朝必ず担当ホールのティーに来た競技員の方とティーマークの位置を相談し、場合によっては予定よりもティーマークを下げてもらったり左右に振ってもらったりすることがあります。
 今回私が担当したカメラはB.Tでしたが、その場合ティーマークは自分からどんどん離れていく事になります。
 初日は結構後ろの方にマークがあったため、カメラをコースロープの外に出しておかなければ入りきらなかったのですが、毎日徐々にマークは前へ動いていき、自分とマークの間がかなり広く空くようになってしまいました。
 本当はそこで気が付いてカメラをコースロープの中に入れて、ポジションを調整する必要があったのですが、何故かそんなことにも気が付かず、遠くの2ndカメラをしておられた先輩から「カメラをロープ中に入れろ」と注意を受けてしまいまして、それで漸くコースロープ内に入ってティーグラウンド上にカメラを据えます。
 それで、今日の仕事のポジション決定。
 後はいつも通り。
 カメラのポジションを前に移動させたお陰で、さらに状況を撮りやすくなり、しっかりと選手を押さえていくことが出来ました。
 
 自分たちのホールを最終組が通過してしまえば、収録終了。
 「おつかれさまでした」の声が聞けるまでビューティーを作って待機します。
 一昨日、昨日とセンターに買ってもらえなかった「渾身の一枚」果たして今日は買ってもらえたのでしょうか…。
 自分たちのホールが終わってもまだプレーは続いています。プレー中のスコアスーパーは大抵はホールアウトする選手の映像の右下か左下に出しますので、画面全体にスーパーを載せることを前提としているビューティー映像は、当分の間センターで拾ってもらえることはありません。
 使ってもらえるタイミングは、本日の成績を整理して途中で振り返るか、最終組も18番をホールアウトし、優勝者が決定して表彰式が終わった後のエンディングでの画などが考えられます。
 とりあえず中継車側でSWしてもらいセンターがいつでも取れる状況を作っておきます。
 こういう場合、センターのVTRさんが気を利かせて良いビューティーがあれば収録してくれますので、ある程度センターに映像を流しておいて、「たぶんもう収録してもらえているだろう…」ということで、SW終了。
 担当ホールは撤収となりました。

 撤収時は幸いにして雨も降っておらず、あっという間に終わり、帰社。
 機材を機材庫にしまい、雨に濡れたビニールシートなどを干し終われば終業です。
 今日の夜は、カメラ部の皆で焼き肉を食べ、今回の仕事を労いました。

 帰宅後、録画しておいた今回のゴルフを確認。自分の撮っている映像を見て、色々と反省もしました。
 さて、問題の私の撮ったビューティー映像ですが……、使われていました、無事に(笑
 ビューティー作りは本当に難しいです…。
 ちょっとずつ自分のポケットを増やしていって、色々な現場で使える様な画作りを考え、身につけていきたいです。  
 
 明日、明後日は久々に2連休です☆


↓今回のゴルフで撮った「ビューティー」。この上にスコアスーパーが乗ります。

031109a.jpg 500×187 27K

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■2003年11月12日(水)  始まったぁぁぁぁ〜。
 昨日までの2連休もあっという間に消化してしまい、今日から2週間ほど休み無し…。
 どうしてこういうシフトになるのでしょうか…。

 さて、久々にゴルフ以外の話題です。
 今回のお仕事は某ワールドカップバレーボール。
 大阪の某体育館で行われます。
 その体育館はプロレス中継で2回言っていますので大体の勝手は想像が付くようになりました。
 機材の積み込みは既に私が休暇を頂いている間に終わっており、今日は現場に入ってセッティングを行うのみ。
 ケーブルを中継車から体育館内に引き込み、カメラポジションまで引っ張ります。
 今回のカメラはバレーボールコート内のネットに仕掛けるCCDカメラを含めて8台体制。
 また、そのほかにも今回は国際配信ですので色々と配線が多く、先輩方もセッティング表を見ながら「これはちょっとややこしいなぁ」と漏らします。
 10時前に現場に入って、カメラチェック終了を果たして1530時。
 今日は早く仕事が終わりました。
 
 ちなみに今回はカメアシです。
 バレーボールの仕事には就いたことが一度もないので、どういう風に試合を撮るのか、どのようにカメラが動くのか気になります。
 明日は10時に現場集合。
 久々にゆっくりとした時間での仕事になりそうです。

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■2003年11月13日(木)  立て続けに更新(笑)
 本日は朝10時に現場集合。
 昨日は夜の9時には就寝していましたので(笑)、朝は本当に楽で余裕がありました。
 
 現場に着けば、ハンディーを定位置に持っていって、デカカメはカバーを外してスタンバイ。
 1030時からカメラマンやSWさんは制作サイトとの打ち合わせがありますので、その間にカメアシが各カメラを回り、VEさんに連絡を取ってカメ調を行います。
 カメ調が終われば次に音声さんに頼まれていたリップシンク合わせ。
 回線が複雑になり、経路が長く色々な機器を信号が経由すると当然映像と音声の同期がズレてきます。
 そのために、カメラで喋っている人を抜いて(撮して)、音声中継車側でディレイを掛けて同期を合わせ治すのです。

 以上が終われば早速昼食です。
 スタンバイは1200時頃ですので、早めの昼食です。
 バレーの試合は本日3試合。
 カメラマン達はカメラマン達で3試合分の仕事をどのように振り分けるか考えますし、我々アシスタントもシフトを考えます。
 今回のカメアシは私を含めて4名。
 そのうちアシスタントが就かないといけないカメラは2台しかありませんので、余裕のあるシフトです。
 とりあえず、今日の第1・3試合担当と第2試合担当に分かれます。明日は今日と反対の試合について、仕事量を調整です。
 今日は結局私は第2試合のみ。
 第1・3試合中は、無人のハンディーカメラの横に就いてカメラ番としながら、インカムでSWさんやディレクターさんのカメラへの指示を聞きながら勉強します。
 幸いなことに、SWしている映像は会場の大型ビジョンモニターに出ていますので、カメラのリターンで確認しなくても今撮られている映像が判りますので、コート内で起こっている試合と、ビジョンの画を交互に見ながらバレーボール中継のカメラの動きを観察できました。
 第2試合のアシスタントとしての仕事も難しいものではなく、選手ベンチ横をポジションとするハンディーカメラのケーブル捌き。
 このカメラは試合中はコート内を撮っているのですが、テクニカルタイムアウトやラウンド間などの選手がベンチに戻ってきているときはカメラを担いで選手や監督の表情ややりとりに接近します。
 その際にケーブルを多少伸ばして、カメラの動きをサポートするのですが、そもそもにカメラがベンチ横にあり、またカメラが大きく選手に回り込んだりしないために、ケーブルを伸ばすと言っても精々3メートルほど。殆ど仕事がありません。

 とにかくも今日の仕事らしい仕事といえばそれぐらい。
 明日も今日と同じく10時に現場集合。
 明日は第1・3試合にアシスタントをします。
 

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■2003年11月14日(金)  バレーボール・ルールクイズ
 本日もバレーボール中継のカメアシ。第1・3試合を担当しました。

 さて、テレビ放送が始まって50年。
 その間に、テレビメディアは一つのイコンとして、大きな役割を社会的に或いは文化的に果たしてきたわけですが、社会に準えたメディアの変化が発生する一方で、メディアによる文化の変化といえる現象も引き起こしてきました。
 例えば今回の例で言えば、スポーツのルールです。
 テレビが…あるいは動画メディアが持つ他のメディアとの決定的な違いは「時間変化を視覚的に連続で表現できる」ということ。
 そして、その特性を活かし、「メディア」として人々に伝達できる情報の一つに「スポーツ」があります。
 ですから、スポーツ中継というテレビ的活動はテレビにも影響を及ぼす一方で、その対象たるスポーツ中継にも変化をもたらしました。
 
 今回私が就いているバレーボールなどはテレビによる影響を受けて変化したスポーツの代表例です。
 他のスポーツがそうであるようにバレーボールも長い歴史の中でそのルールは変化してきましたが、近年のテレビ放送向けの変化は著しい物があるようです。
 最大の変化はラリーポイント制の導入。
 従来のバレーボールは「サーブ権」の獲得が「得点」の条件であり、サーブ権がある中でポイントすれば得点、サーブ権がない中でポイントすれば得点は入りませんがサーブ権を獲得でき、そこから得点が得られるかどうか…という勝負になっていました。
 しかし、現在のルールはサーブ権の移行も得点も同時に行われ、サーブ権のない状態でポイントしても得点は入り、またサーブ権も移ってきます。
 そして、こちらの方が早く試合が展開します。
 昔のルールでは「サーブ権」が移行しても直ぐに相手側に「サーブ権」が取り返され…それが繰り返されればサーブ権が移るだけで得点は全く入らない状態になります。
 それでは試合が長引きテレビ的には時間枠内で放送を終了できる可能性が低くなり、営業的にも構成的にもあまり良いことはありません。
 しかし現在のルールであれば、かなりの余裕を持って放送時間枠内で試合を終了させることが出来ます。
 現在のラリーポイント制というのは正にテレビ中継番組のために設えられたルールであるのです。

 また今回、初めてバレーボールの中継の仕事に就いて、私が驚いたのは、試合進行・試合の流れすらテレビ側が主導権を一部握っている…という点です。
 明日、バレーの試合をご覧になるときは注意して見ておいて欲しいのですが、得点が決まったときの素晴らしい“スパイク”や“ブロック”をスローVTRで見せる事があると思いますが、そのVTRが流れている最中に試合が始まってしまう…という事は無いはずです。
 スローのVTRが流れ終わってからレフリーがホイッスルを吹いて、試合が再開すると思います。
 実は、テレビでスローVTR再生中は試合を止めているのです。
 審判の前には、赤色のタリーランプが置かれており、中継車側でスローを流す事になればその赤タリーが無線遠隔操作で点灯し、その点灯している間は審判は試合再開の笛を吹くことはありません。
 そして、VTRが一枚、二枚と流れて、審判の前に置いてある赤タリーが消えれば審判は笛を吹き試合再開……となるのです。
 これには驚きました。野球中継などでは、どのタイミングでVTRを出すのか…というのはSWやディレクター、VTRさんの一種の腕の見せ所なので、野球の場合は試合の合間を縫って……という状態なのですが、バレーボールでは反対にテレビの都合に合わせているのです。
 セッティング日に「赤ランプシステム」なる物が持ち込まれ、セッティングの仕方などをレクチャされましたが、その時は「そもそも、何に使うのものなのか?」と思い、その点を質問してみたのです。
 すると…上述のような事を行うためのシステムだというではありませんか。
 全く本当に驚嘆しました。
 
 テレビの影響力は一方的な権力に近い力もありますが、反対にその力の大きさを利用するという方便もあります。
 バレーボールがこの様なルールの変化やテレビ編成の要求を受け入れているのは、バレーボール業界自身がその広告的あるいは営業的な活動を行い、バレーボールというスポーツをより世に知らしめたい、という意志があるからに他なりません。
 同時に国際的にプロ化が進むバレーボールはテレビ的にも美味しい素材と言えるのでしょう。

 学生時代に一般教養の講義でメディアについての授業を取ったことがあり、テレビとスポーツの関係についての回があったことを思い出しましたが、こうも正々堂々とその競技の在り方に干渉しているのを目の当たりにすると、開いた口が塞がらない…というよりは閉口してしまいます。 
 

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■2003年11月15日(土)  ラストゴルフアウトサイドブロードキャスティングなお仕事。
 さて、いよいよ明日からゴルフ中継業務シークエンスです。
 今回も先発隊。しかも、早い! 今まで早いと言ってもその週の火曜日入り。
 しかし、今回は日曜日から入ります。そして、現地を離れるのは再来週の月曜日。
 実に8泊9日。
 今回の出張先は宮崎県 飛行機で行って参ります。
 
 今日は、機材の積み込み。先発隊の仕事はケーブルの先行布線ですので、映像課は(といっても今日は私とTDさんの2人だけですが…)ケーブルを主に積み込みます。
 機材庫に行くと、至る所に「○○(私の名前)君へ。雨具の積み込みお願いします。 ◇◇より」といった張り紙がしてあります。そして、そのメモと共に雨具が置かれています。
 ゴルフ中継は外の仕事でしかも数日間ありますので雨に祟られることもしばしば。
 ですからカッパと長靴は必須なのですが、機材積み込み日に会社に顔を出せない方も多いですので、こういう形で積み込み組に雨具を託しているわけです。
 昨日までのバレーボールの現場でも色んな方から頼まれましたし、メールで積み込みを頼まれてきた方もいらっしゃいます。
 それらの雨具も集めて積み込みました。

 機材の積み込みは4トントラック分とは言え、ケーブルが殆どでしたので楽なもの。ケーブルカーゴごとトラックに押し込んでしまいましたので、直ぐに終わってしまいました。
 あとは、「お茶セット」などを用意して終了。
 機材を乗せたトラックは一足先に宮崎へ向かった模様です。

 仕事が終わって、帰宅途中にちょっと買い物。
 ズボンを3着ほど購入しました。
 ゴルフ中継では服装にも多少気を遣います。
 特にハンディーカメラなどのアシスタントに就くと、受けカメラに自分が写ってしまうことがあり、あまりゴルフ場に相応しくない格好は出来ません。
 基本は上は黒い服などが好まれますが、多くの場合…特に夏場などはスタッフ用襟付きシャツが配布されますので、それを着ていれば問題ありません。
 しかし、下…つまりズボンは支給されることは殆どありませんので、ズボンだけは自分で用意する必要があります。
 原則的に「ジーパンは禁止」。
 好まれるのはベージュ色の綿パンなどです。

 私は日頃の仕事や生活ではGパンが多いのですが、数本は綿のズボンを持っています。
 しかし、これだけの期間を繋ぐには少なく今日は急遽ズボンを買い足しました。
 今日買ったのはベージュ系の綿パン1本と、黒のカーゴパンツを2本。
 特にカーゴパンツは初めての買い物。今まで1本も持っていませんでした。
 カーゴパンツの特徴は何と言ってもポケットの多さでして。バイトのアシスタントの方の多くが履いておられて、使い勝手が良さそうだなぁ、と思っておりましたので是非とも欲しい品でした。
 数着を試着し、今日貰ったばかりの出張手当で支払い(笑)
 準備万端整ったという感です。

 明日は0730時に空港ロビー集合。
 これもまた早いです。
 

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■2003年11月18日(火)  今夜の日記は危険ラインか。
 すみません。
 この2日間は更新する余裕がありませんでした。
 というのも、毎晩「呑み」があったから。晩飯=呑む ですし、それが日曜日は26:30まで、月曜日が24時まで。両日とも19時に店に入ってから……という展開です。
 そして、今日も例に漏れず「呑み」。
 上司の部屋に行って「鍋」を囲みました。

 今回の宮崎出張……の先発部隊。
 行く前から先輩方に「頑張ってこいよ」「耐えろよ…」と様々に激励の言葉をいただきました。
 中には、「俺は会社に入ったその年に宮崎に先発で行って、そこで初めて『もう、こんな会社辞めたるっ!!』と思った」という衝撃的な話まで聞きました。
 今回のゴルフ中継出張に一体何があるというのでしょうか?
 それは行く前から十分に想像できていました。
 理由は簡単。
 今回のTDさんが『軍曹』と陰であだ名される怖い上司Aさんだからです。
 印象はいつも怒っている…という感じ。
 若手の先輩でも酒の席に関わらないようにしておこう…とされている方も居るほどです。
 そして、当然私もAさんは苦手な…いや最も苦手な方なのです。

 Aさんは、このゴルフ中継にはも長年専属的に就いておられる方で、かなりのこだわりを持ってセッティングから何までされますので、中途半端な事は許されません。
 そして、先発部隊のカメラマンやアシスタントは昔から必ずその方と呑んで、洗礼を受けることが習わしのようになっています。
 今回の先発の映像課のメンバーはAさんと若手カメラマン1人と私、そしてバイトと他社のアシスタントさん2人という組み合わせ。
 バイトと他社のアシスタントさんは、カメアシということで晩飯などは勝手に何処かに食いに行っても全然問題ありませんが、社員である私と若手カメラマンはそうも行きません。特に初年度である私などは逃れようがありません(苦笑)
 一緒にAさんと呑みに行ったら酒の席でボロクソに言われることは目に見えています。
 そして酒の席は最低でも4時間は続くのも分かり切っていることですし、その間終始怒られっぱなし怒鳴られっぱなしになることも判っています。
 しかし好む好まざるに拘わらず、同席……いや寧ろ「今日の晩飯は何時からにしますか?」と率先して誘わなければなりません。
 
 初日、日曜日の夜。若手カメラマンと私はAさんと一緒に飲みに行きました。
 そして、23時過ぎ頃に一旦呑んでいた店を出て、ホテルへ。
 そこから更にAさんの部屋に行って26時過ぎまで酒を持ち込んで呑んでいました。
 しかし、若手カメラマンは24時を回ったあたりで「もう寝ますわ」といって、自分の部屋に帰ってしまわれて、他社のアシスタントさんと私とAさんと3人でずっと飲み続けました……いや、特に私…というか私だけですが、怒られ続けました。

 2日目、月曜日の夜。
 この日は若手カメラマンには完全に逃げられました。後で行く…とか言っておられましたが、本人は「パチンコで調子がいいから今は台を離れられない」と言って結局その日は酒の席には来られませんでした。
 アシスタントさん達は、その日はアシスタントさんだけで食べに行かれましたし……つまりは私しかAさんと呑みに行く人物は居ません。
 Aさんに電話をして、食べに行きませんか…とお誘いします。
 
 ところで、この日は同じゴルフ場での別番組のENG班が現地入りしていまして、日頃は中継のカメラをやっている人も多くがENGカメラマンとして宮崎に来ておられまして、ホテルも一緒でした。
 私が、ホテルのロビーでAさんを待っていると、別番組で来ておられれ中継の先輩が「飯どうすんねん?」と聞いてこられたので「Aさんを誘ってこれから呑みに行くところです。もうすぐで降りて来られますよ」というと、「マジ? すまん、俺もう行くし、Aが『○○(その先輩の名前)見んかったか?』と聞いても『知らん』って言っとけよ」と言って、直ぐにホテルを後にされました…。
 孤立無援。
 
 ホテルのロビーにはその後もENG班就きの中継の先輩が何人もやってきて、上述のようなことを言うと、「もうええから、俺らと一緒に行かんか?」とも言ってくださいましたが、まさかAさんを誘うだけ誘っておいて逃げるわけにもいかないので、「いえ、いいですよ。(Aさんを)待ってますから」と他の先輩のお誘いを断って、Aさんがやって来られるのを待ちました。
 結局、呑みの席はENG班として来ておられた他の上司が同席なさり、さらに途中からはホテルのロビーから逃げて行かれたカメラの先輩も来てくださいました。
 
 そして、今日はAさんの部屋で『鍋』
 具材を買い込んできて、中継の「お茶セット」から鍋とカセットコンロを拝借しての晩飯です。
 今日はその場で色々と怒られつつも、「自分はENGをやりたいです」と発言したりと徐々に心の内を明かせるようになってきましたが、まぁとにかくその他の時間は怒られっぱなしです。
 しかし、理不尽に怒られている訳ではない…とは思っています。
 正直、自分は給料分の仕事が出来ていないし、アシスタントとしての職分も全うしていないと反省しています。また、この仕事の体質は自分には合わないのかも…という風に特に最近強く強く感じています。
 ですから、開き直るわけではありませんが怒られて当然であるとも思います。
 先述の先輩のように、今のところ、この出張で会社を辞めたい…と決定的に思ったりはしてませんが、なんというか今駄目な自分が今後どのように成長できるのか、していけばいいのか…というか成長できるのか……と一歩先が全く見えない、明日からの取っ掛かりすら掴めない境遇で、「不安」です。
 自信もありません。

 今日も途中からENGの若手カメラマンが途中参戦してくださり、私の目の前で私の援護射撃をしてくださったりしてくださり、本当に有難い事であり嬉しいと感じました。
 (このカメラマンも新人の頃にこのゴルフ出張でAさんと共に先発を経験した事があり、その時の夜の酒の席で「人生を全否定」されたそうです…)
 
 まだこの出張…折り返し地点にも来ていません。
 まだまだ夜は続きます。
 ………昼も夜も、頑張るしかありません。

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■2003年11月19日(水)  幸福。早寝。
 今回のゴルフ中継出張は、日頃のゴルフ中継よりも仕事の期間が長い…という話は先日したとおり。
 日曜日に現場入りした先発隊の私ですが、初日と2日目は布線作業で全てのホールのカメラケーブル・光ケーブル幹線を張り切りました。
 今日は、漸く大阪から中継車がやって来て、朝から中継車をゴルフ場に入れます。
 そして、昨日までに布線作業を終えていたケーブルを中継車に繋ぎ入れます。
 その次はカメラを各ポジションに配り、組み立て。

 さて、この様な流れの一日でしたが、はっきり言ってこの中継は時間的に余裕がありますので、昼を過ぎたあたりから仕事が無くなってしまいました。
 TDさんなどは細々と技術的な打ち合わせやVEさんも中継車内の調整をされていましたが、カメラマンの多くや私のような末端のアシスタントは比較的ヒマを持て余します。
 そこで、私は昨日まで張ってきたケーブルルートを辿りなおし、どのカメラに何メートルのケーブルが何本の使われているかをチェックし、それをまとめて来年以降のセッティングに活用してもらえるように準備をしました。

 しかし、それでも時間が余ってしまいましたので、あとは気が付いた作業や、急遽浮上した問題の対応の手伝いなどをしていました。
 現場を引き上げたのは17時過ぎ。
 
 ホテルに戻ってからは、晩飯は東京の方達と一緒に呑みに行きました。
 今日からはスタッフが一気に増え、昨日までは10名前後でしたが今日からは30人以上。
 東京からも応援スタッフが来てくださってますので、自己紹介も含めて一緒に東京の方と呑みに行ったわけです。
 今日は一次会だけで私は引き上げました。
 大阪組で行くとなかなか一次会だけで終わる…というのは難しいのですが、東京の方はあっさりと。
 
 久々に早く寝られると喜んでおります。
 明日は朝7時にホテルを出発。
 いい加減しっかりと睡眠を取っておかないと、バテてしまいますね。

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■2003年11月20日(木)  生死を賭けろ。
 ピンポン♪
 ピンポン♪ ピンポン♪
 ピポン、ピポン、ピポン、ピポン、ピポン、ピポン♪

 (怒)

 昨日はカメアシ興行紀を書いた後、直ぐに寝ることが出来て、幸せ満点!かと思っていたのですが、夜中…ホテルの部屋の呼び鈴をしつこく押し続けられて目が覚めます。
 ムクッとベッドから起きあがりドアを開けて外へ。
 ………………若手(三十前半)の先輩方4名が何やら廊下にいらっしゃいます。
 ……また何か鬱陶しいことを始めるのか…(疲) とげんなりしながら寝間着姿のまま隣の先輩の部屋に入ります。
 「これからAの部屋のチャイムを押すゲームをする!」
 おいおい…。
 Aさん…つまり先日の日記で書いた『軍曹』の異名を持つベテランカメラマンの部屋の呼び鈴を押して…逃げる…………つまり「ピンポンダッシュ」をやろうというのです。
 時刻は25時。
 
 たぶん、いや間違いなくAさんに目撃されて捕まれば殺されます。
 きっとAさん所有の十徳ナイフで殺されます。

 もう、眠いは、身の危機を感じるは……で意識は朦朧。
 「じゃんけん、ホイっ!」
 否応なく生け贄選定が始まります。

 ルール(?)は簡単。負けた一人が、Aさんの部屋の前まで行ってチャイムを2度鳴らし……まぁ後は逃げるなり何なり。
 その様子をじゃんけんに勝ったメンバーは、Aさんの部屋のドアが見えるB先輩の部屋の窓から見届けるのです。その際、実際にチャイムを鳴らしているかを確かめるために、携帯電話を通話状態にしておきます。

 私を含めて合計5名。
 じゃんけん一回戦で私は負け組、一人が勝ち抜けます。
 2回戦…3回戦はあいこ。
 そして4回戦目で私を含めて2人が勝ち抜け。
 果たしてどちらの先輩が生け贄となるのか…。
 そして5回戦目………C先輩が敗北。
 ゲームは始まりました。

 B先輩の部屋の電気を消して、鑑賞体制へ。
 そして、苦悶するC先輩を送り出します。
 窓の外、Aさんの部屋の前のドアに立つC先輩。
 もはや全員笑いが止まりません。
 C先輩が出て行った後、逃げ帰ってこられないようにB先輩の部屋には鍵を掛けて閉め出します。
 そして、呼び鈴のボタンを2度「押」。
 ピンポーン♪ ピンポーン♪
 ダッシュでC先輩はドアの前を離れ、B先輩の部屋に飛び込もうとしますが、鍵が掛かっているのですから入れません。
 がちゃがちゃと数回短時間にドアと小競り合いした後、あきらめて直ぐさまC先輩は自分の部屋に逃げ帰られました。

 ………何という遊びなのでしょうか(笑)
 明日は朝7時出発というのに、睡眠妨害を前提としたスペクタクルでスリリングなパニックアクション!
 しかも今回の我々のゴルフ中継の技術を統括するTDのAさんに果敢にも挑んだゲームです。
 全く如何にAさんが若手に忌避されているかが伺える一幕。
 絶句と興奮と爆笑が入り交じり、睡魔のベールを被った脳を刺激してなりません。

 およそ5分のこのゲームのために私まで叩きおこされ、快眠を妨げられたわけですが、結局腹が立ったのか、楽しんだのかよく分からない夜でした。
 
 ゲームそのものの結果ですが、Aさんは部屋から出てこられることもなく、また翌日も何も仰ってなかったですから気が付いたおられなかったのか、あるいはまだ25時でしたから部屋にいらっしゃらなかったのかも知れません。

 今晩は第2弾があるそうです。
 絶対に参加しないといけないでしょう。
 「呑み」よりも更に厄介な付き合いが増えてしまいました。

 ちなみに本日からゴルフ中継開始。
 今回はGSのアシスタントとして働きます。

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■2003年11月21日(金)  まぁ、おちつけ。
 今回のゴルフ中継には同期社員も一名が来ております。
 彼女は日頃はスタジオ勤務なのですが、今回はどうしてかゴルフ中継のアシスタントとして就いているのです。
 2人とも悩みは仕事が出来ないこと。
 昨夜はその彼女と2人で晩飯を食べに行くことにしました。
 先輩方と行くと出張中の晩飯はどうしても呑みになってしまいますが、我々はイタリアンと洒落込みます。
 先輩や上司が居ない食事の席でお互いの悩みや愚痴を打ち明けます。
 2人とも同じような悩みや問題、類似した愚痴を持っていたようで、共感し感化されます。
 自分と先輩との関係。仕事の教え方、叱り方。
 バイトのアシスタントさん達と社員の自分たちの違い。
 何をして良いか判らない。日頃は判らないことがあれば聞けというくせに、いざ質問すると答えてくれない。
 昔のやり方が今の若い人に合うとは限らない。
 そんな言い方しなくても良いでしょうに。
 自分がこれほど仕事の出来ない人間だとは思わなかった。
 e.t.c...

 結局3時間位そんな話をしておりました。
 
 こういう悩みは就職1年目ぐらいには良くある事なのでしょうけれど、そういった一般統計的な部分があるにしても、いわゆる仕事の「実態」を知ったことで理想と現実のミスマッチが多少なりともあるのは事実です。
 私が映像を主体とした畑で仕事をするなら、理想は「町のビデオ屋さん」でしょうか。
 
 私が勤めるような会社の規模になってしまうとどうしても縦割り業務になりますし、技術の人間が制作の意図に介入するのは難しい状態です。
 対して私は、確かに間違いなく映像……カメラマンという仕事が好きなのですが、それは一種の表現手段であって、真に自分がやっりたいと思っているのは寧ろ制作に近いところにあるのではないかと……いやそうであると最近ますます痛感しています。
 つまり自分が表現したいことを描くとするならば、自分の手足が使えるならビデオカメラを使ってやるが、自分の他にカメラを回したり、画を描くことが出来たり、CGを作れたり、文章を書けたり、音楽を作曲できたり、プログラムを書いたり出来る人間がいれば、イマジネーションの現実への定着作業…あるいは抽出は他の人間に任せても良いのではないか…いや、現にそれによって膨らむ作品の性質に喜びと驚きと感動を覚えていたのではないかと考えるのです。
 
 いずれにせよ、私が映像の魅力にとりつかれている状態に変更はありませんし、今後どのような形であれ、映像と共に生きていくと思うのですが、とにかくも昨夜は色々と今後と考えさせられる夜となりました。

 カメラマンになりたい。映像を操りたい。しかし、それだけに留まるのは我慢できない……。そう自分は思っているようです。

 まぁそれはおいておいて、今日もGSアシスタント。
 待機中はカメラマンと2人きりなわけですが、徐々に最近先輩方とお話が出来るようになってきました。
 そうですかC先輩。エヴァンゲリオンを全話観られましたか。
 意外です。

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■2003年11月24日(月)  懊悩。
 帰って参りました。大阪へ。
 8泊9日……………もう十分です。
 そして疲れました、精神的に。
 
 さて、反省会です。
 今回のゴルフ中継は大がかりで複雑な規模……という訳でもなかったのに失敗や判らないことが多く、毎日毎晩と“ヘコむ”日々。
 毎日「明日こそ頑張ろう」と思うも、結局空回りばかりで今の自分が如何に焦っているか、要領が悪いかが否応なく知れるというものです。
 自分自身の課題の多さというよりも、適性の問題という方に思考が働きがちだったのもそんな自分のイケてなさを助長しているように思いますし、同時につまりはそう言う思考へ走ってしまうほどに今回の中継は自分にとっては大きな分水嶺的な仕事であったのかも知れません。
 先日の日記にも、若手の先輩が「この仕事で初めて仕事を辞めようかと思った」と仰っていたと書いていますが、その先輩と自分の課題が全く次元の違う物であるにしてもそういう精神状態に追いつめるのは判ります。

 私の場合はとにかくも『軍曹』たるTDさんと巧くコミュニケーションが取れなかったことでしょうか。
 決して“おもねる”必要はないのですが、しかし「おもねる事はしたくない」というスタンスを取ると、必要以上にコミュニケーションが「引きがち」になってしまうようです。
 今回は先発隊には私の他にも他社とバイトのCAさんが一人ずつきておられて一緒に仕事をしていたのですが、経験の差があるとしても彼らの手際の良さ、配慮の広さ、協調性の高さ…などは悔しいほどに優秀で、自分は単に足手まといなだけ…という感じでした。
 本来の関係であれば、私がセッティング全体をそれこそTD以上に把握しアシスタントに指示を出し、聞かれたことにも的確に答えられないといけないのですが、今回は全くの正反対の状態。
 今日の帰りの車の中でもバイトのCAさんの一人に「○○さん、もっとしっかりしてくれんと困るよ。うちの他の子(アシスタント)らで、新人や中継に慣れていない人が行ったらどうすんの?」と叱られてしまう始末です。
 またコミュニケーションの点でもTDさんと巧くやっていて、TDさんと私と他のカメアシさん2人の計4名居ても、私だけ会話に入れない…という事もしばしば。
 夜の酒の席でも、TDさんには彼ら2人の態度や働きぶりと私のそれとを比べられて、叱られてばかりでした。
 
 普通、仕事にしても何にしてもやればやるほど段々と手際や要領が掴めてきて、巧く立ち回れるようになるものですが、今回は仕事をしていて成長が無いどころか「どうしてだろう……段々、段々と自分が駄目になっていっている気がする」という気配すら感じられました。
 いよいよ2003年もの仕事も少なくなってきて、年が明けて暫くもしないうちに新入社員が入ってきます。
 中継のカメラに入ってくるのかは判りませんが、もしも新人が入ってきたらならば当然私が先頭に立って色々と教えていく立場になります。
 私が「出来ない」「わからない」という状態では、恥ずかしいですし、新人も迷惑します。
 「今の自分から脱却、脱却」と気を持ち、行動しようとするのですが、結局焦燥のみが残ってしまいます。

 「○○(私の名前)さんは、言われたことを一旦頭に入れて、そして自分なりに考えてから行動に出ようとしてはるみたいやけど、とにかくも今は言われたら何の疑問も持たずにまず行動せんとあかんよ」とバイトのカメアシさんから言われてしまいましたが、確かにそうなのかも知れません。
 まるで型遅れのPCのように命令を入力されてからの反応がワンテンポ遅い…という瞬間を私自身が何度となく認識してしまっています。
 また、“やること”“言うこと”に自信を持つ必要もあります。
 そうしておかないといざとなって、えっと何だったかなぁ…どうだったかなぁ…という具合になり、結構それが反応を遅くしてしまっているのです。
 そしてその自信のなさが、人間関係の円滑さも無くしているのではないでしょうか。

 そうすると、まずは自信を持つことです!
 それは裏付けのない自負ではなくて、例えばセッティング表にある全カメラの配置とそれぞれのカメラヘッドの型番と番号、そしてそれに付けるレンズの種類、三脚、ケーブル長、担当カメラマンを全て覚えきってしまった状態で現場に入る、といった実用的で即戦力的な内容を持った自信です。
 今はまだ経験則的な部分から来る自信は何一つありません。それは今後の…あるいは2年目に入って、再び繰り返す一年間のスケジュールを再経験する際に発揮されていくようなもので、これからの課題となるでしょう。
 ですが、先述したような例えばセッティング表を丸々頭に入れて仕事に掛かる、ということは今からでも出来ます。
 今までも勿論試みてきましたが、今後は更に現場で刻々と変化する状況もしっかりと汲んで、常に最新のセッティング表を頭の中に作っておくよう心がけていくなどの努力が必要です。

 今回は酒の席で「お前は給料分の仕事をしろ。でなければ授業料を払え。」と何度も散々言われました。
 現場には学ぶ機会はあっても教えてもらえる機会はなく、また勤務時間中は全て労働時間であるわけで、教えてもらいながら給料も貰える…などという甘ったれた環境が用意されているわけではありません。

 とにかくも判ってはいるのです。
 自分の状態。しなければならないこと、求められていること、今後の課題……。
 それなのに前に進めていない自分が苛立たしいのです。
 

 ところで、そろそろ休みを下さい〜。
 先週……いや先々週の水曜日から休み無しで、おまけに出張で…明日も明後日もまだ仕事が続いて……。
 そういえば世間では3連休だったとか言う噂が…。

<ハイタワーカメラより某ゴルフ場風景>

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■2003年11月25日(火)  ぼうし。
 本日の仕事を持って、この一週間あまりの仕事が終了しました。
 本日の仕事は機材降ろし。
 積み込みがそうであったように、機材の量はそれほど多くありませんでしたので機材降ろしは直ぐに終わってしまいました。
 その後は、機材の整備や中継小物の生産などをして過ごしました。
 つまりはすることが余り無かった一日…というわけです。

 さて、私の今年のゴルフ中継はこの宮崎県でのゴルフをもって終了しました。
 一体いくつのゴルフ中継に行ったのでしょうか……。
 特に10月〜11月は怒濤のごとくゴルフ中継があったような気がします。
 そして本日は給料日。
 ………少な……………………。
 もう溜息しか出ません。
 

 さて、ゴルフ中継では必ずと言っていいほどスタッフウェアか帽子がスタッフに配布されるのですが、今回のゴルフ中継ではスタッフジャンパー・ベスト・ズボン・靴下…と上下一式が貸し出されました。
 つまりスタッフ全員が同じ格好ということです。
 ズボンはタータンチェック柄のニッカポッカ。
 う〜ん…。出張前にズボンを買ったというのに、これでは全く意味がないではないですか。
 衣装が貸与されると知っていればもう少し荷物を減らせましたのに、骨折り損です。
 
 ところで今回は帽子は配布されなかったのですが、大抵のゴルフ中継では帽子が貰えます。
 そこで、私が入社してから今まで私が行ったゴルフ中継でもらったスタッフ帽子を並べてみました。


 その数は10個。
 実際はそれ以上の数のゴルフ中継についていたのですが、しかしそれにしても帽子がこの一年で10個も増えてしまいました。
 日頃は殆ど帽子を被ることもがない私ですし、また中には日常被るには恥ずかしい物もありますので扱いに困ります。
 またTシャツも山のようにあり、大抵はパジャマ以外にはコンビニに来て行く事すら恥ずかしい…というような物ばかりですので、先日実家に持って帰って好きなように処理してもらうようにしてきました。

 ちなみに、日頃私が帽子が必要なときに被っているのは下の帽子です(笑)
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■2003年11月26日(水)  待ちわびたぞ!
 来ました! 遂に念願の「お休み」です。
 畜生、長かった〜。

 休み直前の最後の今日のお仕事は「阪神優勝祝賀会」の中継。
 朝の7時過ぎに会場となるホテルに入って機材のセッティング。
 10時頃からリハーサルが始まり、演出サイドの調整や、出演者との打ち合わせなどが行われていました。
 我々はその様子を確認しながら技術的な調整を行っていきます。
 今回の私はカメアシ。
 最近はカメラ業務がありません。まだまだアシスタント業務が全うできていない証拠です。
 カメラは全部で3台。今回は中継車は持ち込まずポータブルスイッチャーを中心にシステムが組まれたようで、また報道用ではなくあくまでも記録としての映像パケを作ることが前提とされているようでした。
 そのため、放送局各社が会場に取材に来ておりましたが代表取材の素材提供は我々のところからは行わず、某在阪民放局が配信していました。
 我々の仕事はその記録収録と会場モニタへのビジョン送り。
 中規模のホールに1500名近くが入り、大盛況でした。
 式の内容は、基本は立食パーティーで、その中のイベントとして監督挨拶や鏡割り、歌手による歌謡や、マジックショー、VTRによる名場面を選手と共に振り返るなどが行われました。
 私は動き回るハンディーカメラのケーブル捌き。
 星野前監督などに大接近しました。

 多少式進行が押しましたが、19時過ぎには式典終了。
 20時過ぎには撤収を完了して現場を引き上げました。
 
 さぁ、「休暇」です!
 束の間の2連休を楽しんできます☆

2003年04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月  2004年01月  ・・・>>一覧 

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